──W──



 二人の吸血鬼は銃器を捨て、蛮同様にナイフを懐から取りだし構えた。小刻みな振動音からして、蛮は超振動によって切れ味を飛躍的に増したナイフだと把握する。

 ガラスの窓の一角が割れているため、室内の気圧に変化が起きていた。荒れ狂う津波さながらの突風の奔流に、身動きをとることすら困難を極めるはずだ。

 しかし蛮と吸血鬼を含めた三者は、猛威をふるう風の奔流のなか、肉食獣のごとく機敏な動きを見せていた。

「――ッ!」

 吸血鬼の驚異的な身体能力はさることながら、勝るとも劣らない蛮の常人離れした動きは驚嘆に値するだろう。

 空間の床だけに留まらず――まるで節足動物のように、壁や天井すらも足場として活用していた。さらに左右の手の内にある二本のナイフが、まるで自我を持っているかのように空間に銀線を描き、獲物である吸血鬼の体を肉薄せんと襲いかかる。

「ダグラスッ!」

 眼鏡を掛けた細面の男の掛け声と共に、スーツ姿の巨漢が蛮の前に躍り出てきた。

 斜め上から振るわれる凶器。

 すかさずナイフを差し出して防御に入るが、ナイフ同士がぶつかり合った瞬間の衝撃に蛮は顔をゆがめた。相手のナイフの小刻みな振動で火花が散る。

 さらに男は間髪を入れずに、もう片方の腕をこちらに伸ばしてきた。

「――くッ!」

 蛮は背後へと飛び退く。吸血鬼たちの技量とコンビネーションに驚きを感じると共に、押され気味の事実を素直に受け止めざるを得なかった。

 彼らは間違いなく格闘技の心得があった。手首や肘、関節を狙い絡めようとする技は合気道に近く、さらに別の格闘技を盛り込んだものだ。実践的な格闘術。捉えられたが最後、体勢を崩され敗北を喫することになるだろう。

 こちらの誘いに乗らず、無理して追わない姿勢も厄介だった。それだけで相当な場数を踏んでいることが見て取れる。マフィアやギャングなどの黒社会で生き抜いた人間とは違った。

(この高層ビルを少数で占拠する技量と統制力……本物のテロリストか)

 通信手段の途絶。仲間内でしか利用できない暗号コードを用いた通信機。警察の特殊部隊への対応。専門的な分野に精通した組織で習得したとしか考えられない技能の数々に、蛮は溜息を吐きたい気分に陥る。

(たしかに、今まで相手にしてきた吸血鬼とは違って一筋縄ではいかない……)

 蛮は前方で身構える二人の吸血鬼の――その更に背後にある培養槽をちらりと見た。液体のなかで浮遊する少女は何の反応も示さない。

(クソっ……一体なんだっていうんだ!)

 狼狽えるように蛮は、しかめっ面を浮かべる。一刻も早く少女を救い出さなければと、体そのものが意志から離反して動いているような気分だった。

 それを隙と捉えたのか、二人の吸血鬼は目配せすると左右に展開する。斜め方向から、同じタイミングで攻撃を仕掛けてきた。蛮は跳躍して体を瞬時に反転、天井を滑るように移動して吸血鬼の攻撃を未然に回避する。

 三角跳びの要領でさらに天井を蹴り、眼鏡を掛けた細面の吸血鬼の背後へ回る。吸血鬼が身を翻してナイフを奔らせるが、残念ながら虚空を切り裂くに留まった。腹這いに近く体を床に押しつけていた蛮は、相手の脇腹めがけて跳ね上がり、左手に握ったナックルガード付きのナイフを勢いよく突き立てた。

「ぅが――ッ!」

 脇腹にずぶりとめり込むナイフに、細面の男は顔を歪めた。蛮は左手のナイフを刺したまま手放すと、振りかぶっていた右手のナイフを渾身の一撃として、標的めがけて奔らせた。

 ――細面の男の頭部が宙へ舞った。

 頭部が弧を描いて、床へボトリと落ちる。屹立していた身体の方も、突き刺していたナイフを引き抜くと同時に倒れた。

「パードレぇッ! キサマァ!!」

 巨漢の吸血鬼が、野獣よろしく咆哮をあげた。

 同胞をすべて殺され、我慢の限界に達したのだろうか。巨漢の吸血鬼は憤怒の形相を浮かべ、猛然と標的である蛮に突っ込んでくる。

 両者のナイフが振るわれ、その中間点で衝突すると薄闇の空間に火花を灯した。何合と重ねるナイフの衝突は、もはや野性的な芸術美として捉えられる。

 寸秒による体重移動の後に繰り出される巨漢のナイフを、咄嗟に頭を伏せることで回避する。反撃するように蛮も応酬に入るが、巨漢も事前に読んでいたのか防御に移る。

 しかし同胞を皆殺しにされたことで、目には映らないが相手は半狂乱になっているようだ。その証拠に合気道じみた格闘技は、いつしかナイフを主体にした格闘戦になっていた。

「く──ッ!?」

 二本のナイフで上下左右から攻められ、巨漢は体勢を崩す。それを見た蛮は己の勝利を確信し、相手の懐へ勢いよく跳び込んでいった。

 巨漢は蛮が急接近していることに気づき、ナイフを前方にかざす。悪あがきだと決めつけた蛮の目と鼻の先に──突如そのナイフの先端が弾丸もかくやという速度で飛来してきた。

「──ッ!?」

 咄嗟に体が反応できたのは僥倖だった。蛮は体を強引に捻るようにして回避行動に移る。視線の先には、ナイフの柄のみを握る巨漢の姿があった。

(仕込みナイフ……ッ!?)

 飛び出したナイフの刃は蛮の頬をかすめて通過した。

 巨漢は奥の手すらも封じられ、打ちひしがれた様子だった。無論、蛮はその巨漢を野放しにするつもりはない。手に握られたナイフが閃く。

 次の瞬間、巨漢の両手が腕から切り離され、ぼとりと床に落ちた。

「ぐ、うああああァァァーッ!」

 巨漢が膝をつき身を仰け反らせた。激痛にのたうち回る。両腕の切断面から大量に出血し、タイルの床を真っ赤に染め上げていった。

「う……あぁ……っ!」

 軽いショック症状に陥っているのか、まともに立ち上がることも困難なようだ。向けられる視線にも生気が感じられない。吸血鬼の身の上で生気もへったくれもないが、すぐにでも止血しないとこのまま死亡することになるだろう。

「タダで済むと、思うな……」

 突然、巨漢は口角泡を飛ばしながら笑っていた。

「なにが可笑しい?」

「ほかの同志が必ず……この土地で復讐を、成就させる。足掻いたところで、無駄だ……。すでに計画は、進んでいる。賞金稼ぎが一人……抵抗したところで、どうすることもできない、計画がな。ふふ……ははは……!」

 巨漢は薄気味悪い笑い声を発しながら、よろよろと立ち上がった。ぶらりと下ろした両腕からは今なお、出血が続いている。

 そして巨漢は何を思ったのか無防備のまま、蛮めがけて突進してきた。

「な──っ!?」

 大口を開いて闇雲に突進してくる吸血鬼の直情径行は、この上なく無謀だった。しかし蛮は瞬時に体勢を整え、抜き身のナイフを相手の頸部めがけて奔らせる。

 喉を裂かれ、その箇所から鮮血がほとばしる。今度こそ吸血鬼は絶命した。





「なんなんだ……いったい」

 頬の血を拭いながら、足元に転がる吸血鬼の屍体を見下ろす。最後に口走った妙な台詞が本当なら、このビルを占拠した吸血鬼の他に仲間が存在するということか。

 思慮につとめていた蛮を突如襲ったのは、ビルの最上階まで響くような轟音と震動だった。

「なんだっ?」

 蛮は震動の原因を探ろうと、半壊した窓の方へ向かった。その矢先、眼下から煙が勢いよく噴き上がってきた。

 目を凝らすと、下の階層から勢いよく火が噴き出ているのを確認できた。さらに玄関先に集まっていた野次馬たちが、悲鳴をあげながら蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 次の瞬間、別の階層の窓ガラスが、けたたましい音をたてて割れた。まるで酸素を貪るように、建物の内部から猛火が外へと噴出している。

「蛮、こりゃ不味いぞ。ただの火災じゃない。たぶん爆弾の類だ!」

「爆弾だって? なんだってビルにそんなものが──」

 会話の最中に再度、建物全体を揺るがすほどの衝撃が襲ってきた。窓の縁から身を乗り出し、地上の方を見下ろす。またビルの一つの階層から火柱が上がっていた。

「蛮、急いでここから離れるんだ! 巻き添えを喰らうぞ!」

「分かってる。けど、その前に──」

 蛮は培養槽に目を寄こす。円筒型の物体は金属板で覆われ、液体に浸されていた少女を確認することができなかった。先ほどの衝撃で、保護システムが作動したのだろう。

 そう推測した後、蛮はコンソールのキーボードに手を置いた。

「時間が無いのに何をするつもりだいっ?」

「彼女を助ける」

 ただ一言、そう告げると蛮はキーボードを打ち始めた。

「メインシステムが強固すぎる。ロックが固いな、必要以上に潜り込むとAIの自己判断プログラムが作動して液体に直接毒素を送り込む仕組みか……」

「ば、蛮……?」

「…………」

 蛮はおっかなビックリとした態度のフロンを、歯牙にも掛けなかった。その両手は一糸乱れず、驚異的なスピードでキーを叩く。コンソールのディスプレイには、ソースコードやらコマンドプロントらしき画面が、ひっきりなしにスクロールしていた。

「ワームの変わりは無し、なら自己判断プログラムに化けてデバグ用のトラップドアから侵入し、さらに割り込み処理でデータを改竄……いや、この方法じゃ駄目だ。AIがレストレーション機能を持っていたら意味がない。やはりパスワードを解読する他ないのか」

 蛮は、ただひたすら黙々とキーボードを打つ。主の突然の挙動に、彼の肩に乗っかっていたフロンは、ただただ唖然としているようだ。

 その間も爆発の余波が、揺れとして最上階まで伝わってくる。ビル全体が一斉に爆弾の餌食にされなかったのは不幸中の幸いだ。

 ふと、蛮の視線がコンソールのスロットに注がれる。スロットには中途半端に差し込まれたロムがあった。先ほどまで吸血鬼の一人が使用していた代物だ。蛮はそれを入れ直して、再びキーボードを猛然と打ち始めた。

「今度はどうするつもりだい?」

「ソフトの書き換えを行う。逆アセンブラーにかけて再構築したプログラムなら或いは……」

 超高速のブラインドタッチの状態で誤断を一つも犯さないというのは、熟練の域に達したプログラマーも真っ青な行為だ。蛮の無言のプレッシャーに、さしものフロンも言葉がでない様子だった。

「AIに搭載されているアルゴリズムはまだ完成の域に達していない。この程度のファイアーウォールなら、再構築したプログラムが構成するバックドアから内部に侵入できる」

 その時、ひときわ大きな衝撃が蛮たちを襲った。彼らのいるフロアが強烈な振動で揺さぶられた。蛮とフロンは吹き飛ばされないように、コンソールにしがみつく。

「蛮、急ぐんだ! 時間が無いぞ!」

「…………暗号化データ確認………………ハッシュ関数型のアルゴリズムと判断……ソルト固定……ディクショナリー・アタック開始………………パスワード解析……あと少し…………よし、開いた!」

 コンソールのディスプレイに暗証番号の確認が表示された。円筒型の構造をした物体の節々から、勢いよく白煙が噴き出る。筒を覆っていた金属板が、上下にスライドを開始した。

 培養槽が再び表に現れる。ガラスの中に満たされていたエメラルド色の液体が、筒の下部に取り付けられたチューブを伝って流される。全ての液体が流れ終えると、筒状のガラス板が取り除かれた。

 蛮は培養槽のなかで倒れている少女の下へ近づく。一糸まとわぬ姿に一瞬だけ躊躇するが、事態は刻一刻と悪い方向へ進んでいることを思い出す。着ていたジャケットで少女の体を包み肩に担ぐ。

「フロン!」

「ほいきた!」

 蛮のもう片方の肩にフロンが乗る。

 彼らは急いで、そのビルからの脱出を図った。





†             †             †





「ケホケホッ! ……ギリギリだったね」

「ゲフ……。まったくだ。消防士の気持ちが少なからず分かった気がするよ。誰かさんのおかげでな」

 一人と一匹は全身が煤だらけだった。

 蛮たちはジェネシス社から二つ離れたビルの屋上に立っていた。視線の先では、他社を追随させない高さを誇る高層ビルが半ば火だるまと化していた。

 二百メートル級の高層ビルが炎上する様は、畏怖を感じずにはいられなかった。破砕、もしくはドロドロと溶ける窓ガラス。一部、壁が崩れてフレームが剥き出しになっていた。逃げ遅れていたらと思うと、ゾッとするような光景だ。

「う……、そ、それはアリスを救うためであって。仕方なく……」

 蛮は語尾を濁した。彼の腕のなかで、ジャケットに包まれた少女が静かに寝息をたてている。火災によって生じた煙を吸っていないようで、とりあえずは安心した。

 腰辺りまで伸びたアッシュ・ブロンドの髪が、ジャケットからこぼれ落ちている。華奢な身体は乳性石鹸のように白かった。

「仕方なくだって? オイラたちも道連れになってたかもしれないんだぞ。それを仕方なく? ハッ、キミの大胆さと無神経さに呆れるを通り越して尊敬の念すら抱くよ。第一、パソコンが使えるなら教えてくれればいいのに。機械オンチってのも嘘なのかい?」

 使い魔は相当、ご機嫌斜めのようだ。肩の上からフロンが睨めつけてくる。しかし元凶の立役者ともいうべき当の本人は、キョトンと素知らぬ顔をしていた。

「それ嫌味? 機械オンチに決まってるじゃないか。じゃなきゃ、流れゆく先々で色んな機器類を壊したりしないよ。それにパソコンがどーたらこーだらって一体なんのこと?」

 両者の間に微妙な空気が流れた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ。じゃあ……さ、さっきのは何なんだ!?」

「……さっきのって?」

 フロンはワナワナと小柄な体を震わせた。

「キ、キミは、この子を救うためにコンピュータセキュリティを一瞬で解いたんだぞ!? 直接、システムに侵入してパスワードを解読したんだ! 忘れたのかい!?」

「…………」

 フロンの鬼気迫るような声音に、蛮は引くような姿勢を見せる。拮抗が破れたのは、それからほんの少し経ってからだ。

「なに言ってるのフロン? 僕がそんな芸当できるわけないじゃんか」

 心外だと言わんばかりに、蛮は首を横に振った。

「あ、あれを無意識にやったっていうのかい? それこそ馬鹿な話じゃないか。その体にそんな機能は内蔵されてないはずだぞ。……って、ちょっと待ってくれ。そもそもどうして、キミはその子の名前を知ってるんだい?」

「え? なんでってアリスはアリスだし──」

「いや、理由になってないから」

 ブンブンとフロンが手を左右に振って否定した。

 蛮は少女を抱えながらウーンと唸る。

「……確かに。言われてみれば何で名前知ってるんだろう?」

「いやいやいや、そこで疑問に思っちゃダメじゃないか。ハァ……もうこの件は後回しでいいや。とにかく、ここから離れたほうがいいな。事後処理は警察やらの行政機関に任せておけばいいし。けど、その子はどうするつもりだい?」

「とりあえずアパートに連れて行こうと思う。警察に引き渡すのもあれだし」

「ま、結局そうなるとは思ってたけどな」

 この結末を予測していたのか、フロンは力無く肩をすくめた。

 蛮はアリスを両手に抱き、フロンを肩の上に乗せながら歩き出す。

 夜霧の漂う暗い街中に蛮たちは消えていった。






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