──U──



 ジェネシス・インダストリー社ビルの最上階。地上五十階、二百メートルの高さに位置するその階に、幾つかの人影が点在していた。

 一つの階層の半分の面積を利用して造られた、だだっ広い空間。一面だけガラス窓になっている所から光源が差し込み、その空間に薄闇ほどの明るさを与えていた。

 眼鏡をかけた細面の男が、部屋の中心部で鎮座している巨大なモニター・コンソールと向かい合っていた。キーボードを左右の手でしたたかに打ち、何か作業に没頭しているようだ。

「どうだ、パードレ。解読できそうか?」

 パードレという名の痩躯の男に話を掛けてきたのは巨漢だった。体格のいいその体はスーツで包まれ、手にはアサルトライフルらしき自動小銃が握られている。

「セキュリティが固すぎる。こちらで用意しておいたソフトでは解読にまだ時間が掛かりそうだ。変動型アルゴリズムが使用されているとは思ってもみなかった……」

「変動型アルゴリズム?」

「インドのサンヒター・グループの傘下にある子会社が作った最新式のセキュリティシステムのことさ。こいつはAIを内蔵させることで、セキュリティシステムそのものの内容を常に書き換える仕組みになっている。だから外部からのハッキングには滅法強い。それこそ従来のファイアーウォールの比じゃないくらいにね」

「容易では済まないというわけか……」

 アサルトライフルを握った巨漢は、モニター・コンソールの背後にある物体を見た。

 視線の先には、無機質な金属で覆われた円筒型の物体が、壁面に接するようにして鎮座していた。少なく見積もっても二メートル以上の丈がある。床面には電極やチューブが何本も繋がれ、モニター・コンソールへと伸びていた。

「もともとインドはソフトウェア産業の代名詞といってもいい国だからね。アメリカがまだ健在だった頃はNASAのエンジニアの一割強がインド人だったらしい」

「それで解読は可能なのか?」

「問題ない。調べてみて解ったんだが、こいつはまだ試作段階の代物だ。おそらく業務提携を結んでいるジェネシス社との友好関係を図りたくて譲渡したのかもしれない。予定より少しだけ時間が掛かるが解読は可能さ」

「なら急げ。すでに警察側の特殊部隊が突入しているんだ。これ以上の接触は明後日の作戦に支障をきたす」

「分かってるさ。だからそう焦らせないでくれ。警護の方、よろしく頼むよ」

 パードレは眼鏡のブリッジを押し上げ、再び作業に戻る。巨漢の男は、邪魔にならないように窓際へ移動した。

 この建物のシステムをコントロールできる管理室に一人配置し、もう一人は下の階層を見張らせている。自分たちが籠城していることを、みすみす逃がしてしまった社員の手によって外部に漏れてしまったが、まだ許容範囲内だ。

 巨漢の男は窓ガラスから眼下に見る。

 ビルの玄関先を囲むように、大衆がそぞろに喧しく騒ぎ立てている。滑稽なものだな、と巨漢の男は胸中でごちた。





†             †             †





 その頃、蛮は階段を利用して上階へ移動していた。

 三十階からはエレベーターではなく階段を使用している。もしもエレベーターホールの前で吸血鬼が待ち構えるなり、何らかの不意打ちの行動を仕掛けてくる危険性もあるからだ。

 蛮は再び廊下へ出た。廊下を渡り歩くと、吹き抜けのカフェテリアらしき場所に行き着いた。

 フロア全体が休憩場として扱われていたのだろう。モダンな雰囲気を漂わせる空間の大半がテーブル席で埋まり、視界の先にあるカウンターを隔てて、奥の方に調理場が見える。

「……ん?」

 調理場の奥からわずかな物音が聞こえた。

「蛮」

「分かってる」

 短い受け答えを合図に、蛮はナイフを一本抜く。忍び足で調理場へと移動を開始した。

 無音歩行術(サイレント・ウォーク)は幼少の頃から散々叩き込まれた縮地法の一つだ。人間の可聴域は勿論のこと、聴覚の優れたネコ科の動物ですら、聞き取ることを困難とする静けさを誇る。

 蛮はカウンターを迂回し、調理場へと忍び寄る。目線の先にある調理場の片隅で、何やらごそごそと動く人影を捉えた。

 すかさず蛮は駆け出した。距離を一瞬で詰めた蛮は、相手の左手を胸元へ廻し、自身の脚を相手の片脚に絡め、次いで首筋に右手のナイフを当てて、相手の体を完全に拘束した。

「な……! ひ、ヒィ!」

 捕捉された相手は間抜けな呻き声を漏らした。反射的にその体がびくんと震えるが、体の自由を完全に奪われているため、それ以上は自由は利かないはずだ。

「ここで何をしてるんです?」

 ナイフを少しだけ深く埋めると、相手がごくんと生唾を呑んだ。

 スーツ姿の、いかにも社員然とした身なりの男だ。

「た、頼む……た、たたた、助けてくれ!」

「何をしているのか聞いているんです。少し大人しくしてください」

「き、きみは……人間、なのか?」

「質問しているのはこっちなんですよ?」

 蛮の高圧的な口調と背中から射るような視線は、あきらかに普段のそれとは違っていた。

「ビ、ビルを占拠した吸血鬼の手から何とか抜け出したんだ。けど、他の社員の協力で逃げ出すことができた手前、のこのことビルを後にするわけにもいかず。だから外に連絡しようと……」

 続きを促すようにナイフを軽く動かす。

「だ、だけど、ここの電話回線が切られていて……それで、途方に暮れていたら足音が聞こえて。奴らが追ってきたんだと思うと気が気じゃなくて、とにかく隠れようと必死だったんだ」

 男が「あ、足元を見てくれ……」と震える声音で呟いた。視線を落とすと、戸の開いたキャビネットの中からたくさんの調理器具が飛び出して、床に散乱していた。

「……ここに隠れようとしてたんですか?」

「そ、そうだ……。ほかに考えようがなくて。た、頼む! こ、殺さないでくれ!」

 男は矜持など歯牙にもかけず、必死になって命乞いしてくる。

 キャビネットを見終えた蛮は、一つ嘆息をついて拘束を解いてやった。

「さっきの話が本当なら、他の人質の位置も把握してますよね。その場所を教えてください」

「そ、それは構わないが……きみは一体だれなんだ?」

 男は拘束されていた腕をさすりながら訊いてくる。とりたてて黙っている理由もないので、蛮は「賞金稼ぎです」と簡潔に応えた。

「ず、随分と若いんだな……。賞金稼ぎってのは、その、もっとゴツイのを想像してたんだが」

 男は品定めするような目つきで、蛮を見やる。年齢制限が無いとはいえ、蛮の年頃で賞金稼ぎになるのは至難の業だ。偏見な見方をされても仕方がない。

「人質はどうなってますか?」

「あ、ああ、そうだったな。ここから三階上の三十七階のフロア──そこの会議室に全員捕らえられてる。吸血鬼の動向は分からないが、見張りがいるような雰囲気じゃなかった」

「三階上……。なら階段ですぐか」

 天井を見上げた後、蛮は考える仕草をした。

「そ、それと私はこれからどうすれば……。ここで待ってるか、それとも先にビルから脱出していたほうがいいのだろうか?」

「それならもう決まってます」

 顎に手を当てて、考えるような仕草をみせていた蛮は、目の前の男性に再び視線を投げると──唐突にナイフを彼の喉元に突きつけた。

「っ──! え、あ?」

「…………」

 ナイフを突きつけられた当人は、再び間抜けな声を漏らして顔を引きつらせる。蛮の一切の感情を無くしたような冷ややかな双眸は、しっかりと相手に向けられていた。

「ちょっと待ってくれ……。ど、どうしてまたナイフを突きつけられるんだ? 私が一体──」

あなたが吸血鬼だからです(、、、、、、、、、、、、)。それ以外に理由なんてありません」

 さもあらんというばかりの口調で蛮は淡々と呟いていた。

「携帯が繋がらない状況なら、ふつう社員はオフィスにある電話を思い出すんじゃないでしょうか? 少なくともこんな電話一つないカフェテリアに足を運ぶとは思えない」

 狼狽する相手の意向を無視し、蛮は吸血鬼に語りかける。

「それに、ただの社員から幾つもの血の臭いが漂ってくるのは不自然です。下の階層にグールが蔓延ってましたけど、おそらくあなたの仕業なんでしょう。グールを作り出すときに自分の血を送った際、自然と犠牲者の血の臭いが付着した……。社員を演じることで僕を油断させようとしたようですけど、さすがに相手が悪かったようだ」

 最後のもっともな要因として『オド』が上げられるのだが、いちいちこの吸血鬼に説明する必要はないので省いた。懇切丁寧に教える義理もないからだ。

 眼前の男は肩を揺すり、くつくつと笑い出した。

「賞金稼ぎというのはアレか? きみのようなバケモノ揃いなのか?」

「……さあ? 他の賞金稼ぎは知りませんけど、少なくとも僕の相棒は同じだと解釈してもらっても結構です。けど、吸血鬼にバケモノ呼ばわりとは些か心外ですね」

「たしかに、それもそうだな」

 男はぼやきつつ肩をすくめ、先ほどの臆病な物腰とは打って変わった堂々たる姿勢をみせる。喉元にナイフを突きつけられているにも限らず、動じた様子はない。むしろその双眸は、ぎらぎらと獣のような鋭い眼光を放っていた。

「それで私をどうするつもりだ? 殺すか? 吸血鬼とはいえ元は人間だ。殺人罪に問われるかもしれないぞ? それにきみはまだ少年だ。良心だって痛む」

「吸血鬼を殺しても殺人罪の用件には該当しません。それにあなた達の人権は剥奪され、一種の局地災害として扱われてます」

「小僧に法律論を謳われるとはな。きさまに人間としてのモラルはないのかっ」

 怒らせるように語尾を鋭くし、目前の男はよりいっそう瞳孔を鋭くした。その場を濃く満たすあからさまな殺意は、凡夫なら失禁を起こしかねないほどのものだった。

 しかし────


「吸血鬼に道徳の何たるかを謳われる気はありませんよ」


 起伏を感じさせない呟きと同時に、パッと赤色の液体が蛮に飛び掛かってきた。一閃させたナイフが、刹那の一瞬で相手の喉を横薙ぎに切り裂いたのだ。

「なッ──! ゥぐ──!!」

 男が苦悶を漏らした。

 膝を折り、喉から噴き出る血潮を両手で抑えようとする。しかし蛮の銀成分を含んだナイフで切られた以上、回復を図るのは至難の業だ。それでも適切な処置を施せば、吸血鬼の超人的な回復能力によって治癒する可能性も無いとは言いきれない。

 だからこそ蛮は追い打ちを掛けるようにして、床に膝を着いた相手のうなじ目掛けて、ギロチンさながらにナイフを振り下ろした。

「──────」

 鞭打ちのように男の体が仰け反った。

 頸部に連ねる器官をズタズタにされたのだから、声帯もまともに機能しないのだろう。

 男は怨嗟の呻き声を漏らし、そして絶命した。





 吸血鬼の死を確認した後、蛮は顔に付着した血を洗い流すべく、調理場の水道と睨めっこしていた。服にこびり付いて凝固した血は、さすがに現状では放っておく以外になかった。

「殺す必要は無かったんじゃない?」

 隣でフロンが嘯く。タオルを受け取った蛮は、顔を拭いつつ言葉を口にした。

「人質の場所は分かったんだ。それに吸血鬼の頭数を減らしておかないと後々しっぺ返しをくらいかねない可能性もある。端から生かすつもりは無かったよ」

 蛮のすぐそばには吸血鬼の屍体が転がっていた。血が水たまりのように広がり、調理場の床を朱色に染めていく。

「やれやれ、世間で正義のヒーローと謳われてる賞金稼ぎとは思えない台詞だな」

「お膳立てされたキレイな舞台で戦えるのはお話の中の正義のヒーローだけさ。現実じゃ善悪を弁える有余すらない。泥を被る覚悟が無くて吸血鬼ハンターなんてできないよ。……それよりもフロン、さっきから何してるの?」

「この吸血鬼が無線機持ってたからな。他の吸血鬼たちの通信を傍受できないか確かめてるんだ。けど、こりゃ無理だな。使えそうにない」

「どうして?」

「仲間内でしか連絡のとれない暗号コードを活用してる。プロ並みの徹底ぶりだな」

 無線機を弄っていたフロンは、無意味な行為だと悟りそれを放り捨てた。

「この吸血鬼の言ってたとおり、人質の居場所に間違いはない?」

「ああ、上から人間のオド反応を確認できる。それと吸血鬼の反応は残り三つ。その全てが最上階に近い箇所に集まってるな。これといって目立った動きは無いぞ」

「なら先に人質の救出に行こう。どうも残りの吸血鬼は最上階から身動きできない状況に置かれているようだからね」

 調理場から出ると、蛮は再び上の階を目指した。






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