夜の帳が下りる。
奴らは血気盛んに活動を始める。

















【第2章 賞金稼ぎ / Vampire hunter】















──T──



 日付が変わって間もないリーガの旧市街は、街灯を除き全ての明かりが消えている。寝静まった歩道。わずかに木霊する犬の遠吠え。アールヌーボー調の建物の間を、透き通った夜気が静かに通り抜ける様は、さながら一種の芸術といった塩梅だ。

 それとは裏腹に旧市街の北東──新市街の一角は慌ただしい喧騒に包まれていた。

 ネオンの光に灯されたスタブ通りの一角に、一際抜きんでた高さを誇るビルがそびえ立っていた。御影石には『ジェネシス・インダストリー』と彫られている。

 そのビルの周囲を取り巻くのは無数の人集り。喧騒の元凶は言うに及ばず彼らだ。防寒着を着込んだ野次馬の群れが、深夜にもかかわらずごった返している。

「押さないでください! ここから先は立ち入り禁止です!」

「すみません、EUROニュースの者ですが一つ質問を。この事件、吸血鬼が関与しているというのは本当なのでしょうか? 《A.V.W.S》を導入されているということは余程深刻な状況なのでは──」

「こちらで現在確認中です! 申し訳ありませんがお答えできません!」

 ビルが何者かに占拠されたと通報を受けたのは三時間ほど前のことだ。このビルに勤める社員数名を人質に取り、立て籠もっているらしい。

 運良く逃げ切れた社員から事情聴取したら、吸血鬼を見たという証言がでた。現場の指揮を任されているドウェイン・E・ロビンソン警視は、この事件が昨今リーガで起きている婦女暴行事件と何か関係しているのではないかと思った。

「おい交通課、この野次馬をどうにかしろ。上から報道の差し止めがされてたんじゃないのか?」

「こんな状況で報道規制もへったくれもありませんよ。ただでさえ、野次馬が多いんですから報道局だって嗅ぎ付けますって。《A.V.W.S》まで出動させてるんですから、誰だって大事だって思いますよ」

「報道の自由万歳か……。これじゃあ、吸血鬼が絡んでると言ってるもんじゃないか」

 そう告げると、ドウェインは嘆息と共に肩を落とした。

 ビル周辺の喧騒は一向に止む気配がない。彼ら一般人に向かって事件が大事だと解らせるために、わざわざ《A.V.W.S》を出動させたのだが、これが裏目に出てしまったらしい。ドウェイン警視は禿げ掛かけてきた頭に手を置き一人ごちた。

「さっき署に問い合わせしてみたら、国連側から連絡があったそうです。なんでもリーガに逗留中の賞金稼ぎがいるらしくて、こちらに向かってるらしいんですよ」

「……それじゃ、このデカブツを持ってきた意味が余計なくなるだろ」

 振り返るとそこには、ビルへの侵入を拒むようにして佇む、全高六メートル弱の無機質の塊があった。白を基調にカラーリングされた油圧式二足歩行型の機械兵──《A.V.W.S》が専用の巨大な短機関銃を片手にでんと構えていたのだ。

 《A.V.W.S》──Anti Vampire Weapon Suitの略であり、直訳すると対吸血鬼用機兵を意味している。米国がまだ存在していた頃、第二次SDI計画の一環として開発されていた兵器システムだったのだが、紆余曲折を経てその計画がバチカンへ譲渡され、今の原型が出来上がったとされている。第一次種間戦争にてその実力を遺憾なく発揮した代物だ。

 ドウェインの背後にある《A.V.W.S》は第四世代の機体で名称はTB-4000。トーテンブルーメ社によって開発された古くも新しくもない型の代物だ。量産もされており、世界各地の警察機構で使用されているため、さして珍しくもない。

 しかし警察官のドウェインにとって見慣れた物であっても、《A.V.W.S》は公衆の面前に触れにくい兵器だ。大半の野次馬は《A.V.W.S》を一目見ようと、物見に出かけるような気分でここまで来たに違いない。先ほどからカメラや携帯のフラッシュが焚かれ続けている。

「警視! 例の賞金稼ぎが到着しました」

「本当か? よし、ここに通してくれ」

 侵入を阻止する防犯テープを跨ぎ、人混みの中から現れたのはロングコートに身を包んだ人物だった。目深に被ったフードのせいで、顔までは識別できない。しかしドウェインの考えを汲み取るように、目の前の人物はフードを捲った。

 ──現れたのは年端も行かぬ少年の顔だった。

「ど、どうも……」

 ぺこり、と少年はお辞儀する。腰が低い以前に、あからさまに場違いな人物の出現にドウェインは口を半開きにし、しばし茫然自失の体だった。

 年の頃は十五、六くらい。長くも短くもない黒髪。欧州では珍しい黄色人種の肌。背丈は百七十前後。特徴として上げられるのは、左右で色合いの違うオッドアイくらいだろうか。それ以外は何処にでもいる、ごく普通の外見をした少年だった。

「アー……その済まん。キミが、その……賞金稼ぎ?」

「はぁ……一応。あ、こっちがライセンス証です」

 取引先の重鎮と名刺交換するような及び腰で、少年はライセンス証を差し出す。それを受け取ったドウェインは、眉間に皺を寄せながらライセンス証に目を通した。

(偽の証明書、じゃないな……。クラスはC。名前は……蒼馬……蛮?)

 国籍を見ると日本と記されている。その他にも様々な項目が埋められているが、当たり障りない程度に目を走らせてから、持ち主である賞金稼ぎの少年に返した。

(しかし、それにしたって何故こんな少年が……)

 賞金稼ぎとは吸血鬼の鎮圧と、人々の治安維持のために国連が立案した制度である。いわゆる〈吸血鬼ハンター〉のことだ。

 第一次種間戦争以降も吸血鬼は世界各地に出没。戦争による衰えの激しかった各国家の軍隊を始め、警察等の行政機関だけでは対処しきれなかった。そこで考案されたのが「吸血鬼に賞金を掛け、摘発を公募する」という賞金稼ぎ制度だった。

 人間から吸血鬼へ変貌した後もDNAや指紋、血液型に変化は起きない。そのため犯罪を犯した吸血鬼の身元を割り当てることが可能だったので、彼らに賞金を掛けたのだ。

 単純に血を吸ったり襲っただけという小者ではほとんど値が付かないが、並の犯罪者で数十万イェン、大物となると数百万イェンまでいき、『階級』持ちと呼ばれる吸血鬼は数千万イェンから数億イェンにまで達するといわれている。

「あの〜、そろそろ状況説明……お願いできますか?」

 賞金稼ぎの少年が怖ず怖ずと尋ねてきた。

 我に返ったドウェインは一度咳払いをする。ユダヤ人で初めてオーストラリア首相となったブルーノ・クライスキーは、十五歳で社民労働党員になったではないか。そう考えると、目の前の少年が賞金稼ぎだとしても差して問題はないと思えてくる。

「私はこの現場の指揮をとっているドウェイン警視だ。よろしく頼む」

 ドウェインは少年と軽く握手した。

 証明書が本物だと確認できた以上、下手に扱うことはできない。賞金稼ぎには様々な特権が与えられていると聞く。しかも指揮系統は国連に直結しており、警視の自分よりも権限は遙かに上だ。ドウェインは上擦り声ながら、現状の説明を始めた。

「ビルを占拠されたのは五時間前で、通報があったのは三時間前だ。一時間ほど前に署の特殊部隊を第一陣として地下から内部へ突入させたが連絡が入ってこない」

「占拠されてから通報までの二時間の空白は?」

「どうも内部の通信手段を完全に途絶されていたらしい。運良く逃れることができた社員が一人いたらしく、二時間前に通報をしてきた。犯人側からの要求は無し。全く……明後日はリーガ祭だっていうのにビルの占拠なんてテロリスト紛いなことをしてくれるもんだ」

「現場封鎖は済ませてますか?」

「すでに完了済みだ。後は滞り、後ろの野次馬を退かせれば終わりだ」

 防犯テープの外側で、鮨詰め状態の人の群れを指しながら答える。

「……分かりました。僕はこれからその人達を含めて人質の救出に向かいます。もし、ビル内から吸血鬼らしきモノが現れた時は交戦せず見逃してください」

 その答えにドウェインは納得できなかった。

「なぜだ? いくら相手が吸血鬼とはいえ、住民の安全を守る警官がみすみす尻尾を巻いて逃げるなんて──」

「死にますよ」

「────」

 ドウェインは返答に窮した。

 目の前にいるのは、まもなく過渡期を迎えるといった程度の十代の少年だ。だというのに、この事件の指揮権を握っている五十代後半の自分が気圧されていた。

「あなた達は吸血鬼の恐ろしさを知らないからそんなことが言える。あれは生半可な気持ちで相手をすれば一瞬で殺されます。警官が一個小隊集まっても皆殺しにされるのがオチです」

 歯に衣着せぬ物言いというか、どことなく無神経な台詞にドウェインの眉は、ぴくぴくとひくつく。だが、なによりも自分の身の保身を重んずる彼にしてみれば、賞金稼ぎによって事件が円満に片付くのならそれに越したことはない。

 ドウェインは憤りを感じながらも、表面上落ち着き払った声で、「分かった。専門分野の忠告だ。キミの言うとおりにしよう」と答えた。

 少年はもう一度ドウェインに会釈をした後、単身ビルの中へ入っていった。





†             †             †





 ドウェイン警視と別れた蒼馬蛮は、臆面もなくビルの正面から内部へ移動を開始した。

 薄闇に包まれたエントランスホールを歩きつつ、蛮はぐるりと周囲を見渡す。

 ホールを着飾る装飾は控えめで抑えられつつも、素材の一つ一つが良質だと一目みれば理解できた。十二分な広さといい、傾斜している天井を支える支柱といい、大理石の床といい、まるで神殿を彷彿とさせる内装の造りだ。

「さすが世界的に有名なコングロマリット。無駄にお金が掛かってるなー」

「リーが将来的に就職したいっていうのもなんとなく分かるかも……」

 蛮とフロンは建物の内装を見て、感嘆の声を漏らした。

 ジェネシス・インダストリーはイタリアに本部を置く、現行最大と尊称される複合会社だ。およそ文化文明に関する全ての物の生産流通を手掛ける企業だ。

 どのビジネスに対しても、その産業分野でのシェアが上位であることをビジネス存続の条件とし、数々の経済雑誌やメディアにも度々取り出されている企業である。

「けど、支部でこの大きさは凄いね。お金ってあるところにはあるもんだ」

「そりゃあ、世界最大の複合会社だからな。それにジェネシス社は先の大戦で衰退していた世界情勢の復興にも一躍買って出てたんだ。だから国連や各自政府に対しても強い発言力を持ってるのさ」

「ふーん」

 蛮は、ロビー受付の両脇にあるエレベーターへと向かう。スイッチを押すとエレベーターの動作を報せるランプが灯った。建物内の電力は完全に遮断されているわけではないようだ。

 蛮はエレベーターに乗り込んだ。

「フロン、『オド』の反応を教えて」

「上階に全て密集している。この建物は五十階まであるから……取りあえず、三十階まで昇っても問題ないな」

「了解」

 フロンの指示に従い、エレベーターのボタンを押す。ドアが閉まり、所定の位置まで上昇を始めた。乗り籠のロープを巻き上げる電動機の駆動音が、壁越しに聞こえてくる。

「けど、リーには驚かされたよ。いきなり賞金稼ぎになりたいだなんて……。僕が賞金稼ぎだってことに一瞬気づかれたのかと思って内心焦ったよ」

「いくらなんでもそれはないさ。傍からすると蛮は人畜無害にしか見えないからな。賞金稼ぎってことを公言しても、からかわれるのがオチだから心配する必要ないって」

「……それ、けなしてる?」

「いやいや。主君に忠実な使い魔の訓辞と捉えてくれ」

「ならラグナと顔を見合わせる度に喧嘩するの止めてよ」

「あえて言おう、イヤであると」

「………………」

 賞金稼ぎという職業は、その響きのせいか、若者の雑誌における「将来なりたい職業ランキング」などで常に上位にランクづけている。毎年賞金稼ぎを志望する人は後を絶たない。

 しかし彼らが相手にするのは吸血鬼という怪物だ。ゆえに、国連が指定する幾つかのテストをパスすることで、正式にライセンスが授与される。年齢による水準はなく、実力があれば賞金稼ぎになる資格があるのだが、倍率は言うまでもなく高い。

 蛮は着込んでいたロングコートを脱ぎ始めた。

 コートの中から現れたのは黒装束だった。スペクトラ製の防刃ジャケットからカーゴパンツ、はてはブーツにドライバー・グローブといった履物や小物まで、全て黒で統一されている。

「反応は幾つある?」

「人間のオド反応が二十弱。吸血鬼が四つ。あとは……」

 フロンの言葉を遮ったのは、所定の三十階で停止したエレベーターだ。エレベーターから降りた蛮は右隣を見やった。窓ガラスから入り込んでくるネオンやらの人工光によって、奥まで続く廊下に、わずかな光を灯していた。

 その廊下の床で何やら蠢く黒影があった。

「……《食屍鬼(グール)》、か」

「そーゆーこと」

 注意深く見ると、複数の人影が床に這い蹲って一心不乱に、体を動かしている。しかし蛮の眼は正確にその現状を捉えていた。



 ────人間が人間を食べるという凄絶無比な光景を(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)



「あーあー、これじゃまるで死肉に群がるハイエナだな」

「もう少しマシな喩え方しようよ」

 複数の人の影が、すでに事切れた遺体の皮膚を噛み千切り、肉を咀嚼し、内臓を引きずり出す。まるでホラー映画に出てくるゾンビのそれだった。

 ふと、彼らの顔が持ち上がり、その視線はダラしなく蛮の方へ向けられた。

 新たな──それも新鮮な獲物を視認した彼らは白目を剥き、口元に血糊をべったりとつけている。腕をだらしなく前方へ向けながら、おぼつかない足取りで歩み寄ってきた。スーツ姿の様相からして、この会社の社員だろう。

「すでに"転化"を終えてる。もうエクソシストを呼んでも無意味だね.。吸血鬼に成りきれず精神崩壊を起こして《グール》化したのか……」

 緩慢な動作で近づいてくる《グール》の群れを見て、蛮は淡々と呟いた。

「んで、どうする? オイラを使うかい?」

「必要ないよ。──これで十分だ」

 蛮は腰部──ジャケットの内側に両手を滑り込ませた。腕を引き抜くと同時に現れたのは、両手に収められた二振りのナイフだった。

 右手に収まったのは全長四十センチのナイフ。飾らない無骨な装いだが、純粋に殺傷能力のみを求めた造りになっている。かたや左手の得物は、三十センチに満たない長さのナックルガード付きのナイフだ。二本とも銀の材質が含まれた、対吸血鬼用の武器である。

 グリップの感触を簡潔に確かめ、蛮は体の重心をやや低く落とす。助走を付けるように足運びをすると、くぐもった呻き声を上げるグールに向かって──勢いよく跳び込んでいった。

「ふ──ッ!」

 小さく呼気をならし、まるでチーターを彷彿とさせるような脚力でグールとの間合いを詰める。手前にいたグールも喉元に、右手に握っていたナイフを深々と突き刺した。

 筋肉、食道、気管を一瞬で貫き、刃先は脊髄に届く。ナイフを一息に抜くと同時に首から鮮血がほとばしった。月光を血煙に陰らせながら、一体目のグールが床にくずおれる。

 蛮は動きを止めることなく、滑るようにして次の獲物へ接近していた。

 グールとて、もとは人間だ。人体と同じ構造を持つ以上、人間でいう急所への攻撃は効果がある。くわえて彼が両手に握る二振りのナイフは、名工ギムルによって鍛え上げられた業物だ。吸血鬼の弱点である銀の材質で鍛錬されたとなれば、まさに鬼に金棒だ。

 蛮は人体の急所の中でも、特に狙いやすい首に的を絞る。グールの脇の下を潜り抜け、背後につくと左手に握っていたナイフを首筋に斜めから振り下ろす。更に右手のナイフを横薙ぎに奔らせ、目の前にいたもう一体のグールの頸部を狙った。

 寸分のズレもなく、二つの刃はグールの命を奪った。

 再び血煙が上がる。建物内部の壁や床、窓ガラスが一瞬にして朱色に染まるが、すでにその場に蛮の姿は無かった。

 彼は残った三体のグールめがけて廊下を駆け出していた。

「…………」

 疾走する蛮は無言を貫きつつも、先ほどより柄を強く握る。

 彼我の距離がいっそう縮むと、蛮はさらに重心を低くした。刹那──蛮は力強く、それこそタイル張りの床が砕けんばかりの踏み込みを行った。

 ────気づいたときには、蛮と三体のグールが背中合わせに佇んでいた。

 ズルリ、となにか滑る音がした。三体のグールの頭部が、首に付けられた傷跡に沿って斜めにずり落ち、生々しい音と同時に床に叩きつけられた。

「天崎流小太刀術──弐式『陣風』……相変わらず惚れ惚れするくらい見事なナイフ捌きだな〜。それも神崎家に伝わる暗殺術ってやつ?」

「まあね。けど僕より前の代にはもっと凄い人がいたらしいよ。なんでも『階級』持ちの吸血鬼と対等に渡り合えたとか……」

「生身で? 蛮の体みたいに特殊な改造もなくか? それまた凄い麒麟児もいたもんだな〜」

「ん? ああ、違う違う。その人、女性だったらしいよ。だから、跡継ぎにできないからって本家に引き取られたらしいけど」

「……それ、どんな才女だ。本当に存在したら化け物じゃん」

 蛮はナイフに付着していた血糊を払い落としホルダーに納めた。

 目線を床に落とすと、先ほどグールが捕食していた複数の骸が視界に入った。タクティカルベストのような戦闘服に身を包み、小銃が近くに落ちている。ドウェイン警視の言っていた特殊部隊だろう。

 グールとはいえ、彼らは吸血鬼の血統に属する者たちだ。通常の銃弾では歯が立たないことくらい警察も知っていたはずだ。容易に突入なんかさせるからこうなる。

「吸血鬼に動きは?」

「これといって無いな。先に人質を助けに行っても問題ないぞ」

「了解」

 相槌を打った蛮は目的地に向かって歩き出した。






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