──V──



 場所は変わり中央ヨーロッパ、ヴェストファーレンの首都ジュネーブ。

 そこは舞踏会場と見間違うほど、荘厳で、広大な空間だった。

 その巨大な会議場にあたる場所の中心に、円形の巨大なテーブルが据え置かれ、その机を囲むようにして数十の椅子が並ぶ。さらに同等の数の人間が椅子に腰を下ろしていた。

「休戦協定を結んだ後も吸血鬼の存在は我々にとって脅威だ! 数は減少の一途を辿っていると言うが、各地に吸血鬼が出没しているのはどう説明する気だ?」

 スーツを着こなした偉丈夫が、手にもった書類を机上に叩きつけながら、公用語である英語で捲し立てる。

「先の大戦によって転化した吸血鬼が多すぎるのです。彼らの大半は我々と戦う意思はありません。それでも生きるためにどうしても血液が必要になる。すでに周知の事実でしょう」

 初老の男性がゆっくりと席から立ち、聞き分けのない子供を窘める大人のような態度で答えた。日に焼けた褐色の肌をスーツで包み、頭にはターバンが巻かれている。中東の──アラビア共和国の代表のようだ。

 国際連邦政府安全保障理事会。それがここに集う者達が所属する、国際連邦政府の主要機関の一つであり、事実上の最高意思決定機関だ。

 国際連邦政府。略称IFG。

 それは世界の平和、経済、政治、軍事など社会的なあらゆる分野の発展、維持のために作り上げられた国家管理機構のことだ。

 第一次種間戦争という争いは、人類に甚大な被害を与えた。もはや国家間、民族間、宗教間の軋轢を引き摺っている暇はなく、地球上に取り残された人類は、新たな門出を見すえる必要があった。

 連邦制と呼ばれる制度を用いて、この世界そのものを一つの巨大な国家とし、一つの法に沿いながらも、各国家ごとの独自自治を重んずる協力関係を結ぶことにしたのだ。

「ここは心を鬼にして日本にある吸血鬼の拠点を制圧した方がよいのでは?」

「いや、それは軽率すぎる。『帝国』側とは休戦協定を結んでいるんだ。その間の四十年弱、『帝国』絡みの戦争は起きていないのが事実。条約に違反する。それでは示しがつかない」

「しかしここ十数年、先進国で吸血鬼絡みの大きな事件が起きているのは事実だ。イギリスの三国の紛争を始め、四年前の『第二次ポルタヴァの戦い』、二年前の『ニライカナイ襲撃事件』──特に前者はウクライナの半分の土地を失う甚大な被害を出したんだぞ」

「だからといって『帝国』に攻めるのは得策ではない。それこそバチカンの思うつぼだ。せめて賞金稼ぎの資格習得の軟化。対吸血鬼用の兵士育成の向上。新型《A.V.W.S》開発への予算投入といったところだろう」

 オブサーバーであるバチカンが参加していない事を良いことに、各国家の代表者である彼らはいつもより舌が廻るのか熱い議論を交わしている。

(……よくもまあ、毎回同じ議論でこうも熱くなれるものだ)

 耳にタコができるとはこのことだろうか。

 途切れることなく続く機関銃さながらの熱弁を、国連委員会の委員長であるレジナルド・リシュルーは、小さくため息を漏らしつつ見守り続けた。





†             †             †





「ふぅ……」

 会議が閉会すると同時に、レジナルドは国連本部に設けられた己の執務室へ戻った。

 二十畳程度の空間に、本革張りのソファーとテーブルからなる応接セットが置かれ、それを正面から捉えることのできる窓際には、マホガニー製の執務机がでんと構えていた。

 肘掛けの椅子に腰を下ろし、レジナルドは体をやや後ろへと倒していた。数時間にも及ぶ国連安保サミットの束縛から解放され、やっと肩の荷が下りた気分だ。

 レジナルドは眼鏡を掛けた、柔和な雰囲気の紳士然とした五十代前後の男性だ。怒るという感情が欠けたような、落ち着き払った理知的な雰囲気が、その容貌にひどく相まっている。

「局長、お疲れ様です。スリランカからウバの新茶が届きましたので、さっさく入れてみました」

「ありがとう、シルビアくん」

 給湯室から出てきた、いかにも秘書然とした女性が、陶磁器製のカップを机に置いた。礼を言ったレジナルドは、カップを手に取って香りを楽しむと、ゆっくりと紅茶を口に含んだ。

 奥行きのあるコクと渋みをもった芳醇な味わいに、飲用後のメントールの香り。ハイグロウンティーの、それもクオリティーシーズンの茶葉だろう。

「……やはり今回も話は平行線のまま終わったようですね」

「まあ、彼らの言い分は解るんだがね……しかし最近のサミットは結果論のみで行われているように思えてならない。子供の論議じゃないんだ、もう少し有意義に扱ってほしいね」

 レジナルドは苦笑しながらカップを再び口元へ運んだ。

 アドニス茶園の高品質のウバ茶は、紅茶好きのレジナルドを満足させる代物だが、幼少の頃に飲んだキーマン茶には及ばない。

 その茶葉の製造元の茶園があった中国大陸は、先の大戦の名残で砂漠と化し、現在は膨大な規模のプラント施設が多数配置されている。いま世間に出回っているキーマン茶と呼ばれるものは、粗悪茶かブレンド茶のどちらかだ。

(あの頃が懐かしいものだ……)

 数日に及ぶサミットは、長丁場であるにもかかわらず、一向に意見が纏まらない。まあ判っていたことだ、とレジナルドは胸中でごちる。

 吸血鬼という存在は、先の大戦後も最大の悩みの種となっていた。

 北アジア、オセアニアの局地的な核の冬現象。中国大陸の砂漠化。極秘裏に開発されていた核融合炉の暴走によって世界地図から消えたとされる北アメリカ大陸──これらの元凶は言うに及ばず、吸血鬼と呼ばれる異種族の存在の所為とされている。

 大戦を終え吸血鬼側と休戦協定を結んだ後も、吸血鬼の根拠地にあたる日本の東京──『パンノニア帝国』に攻め込もうと画策を企てた輩も少なくはなかった。

 これを懸念した各国家の首脳陣は、2048年に当時のスイス、ジュネーブの国際会議において、国際連合に変わる新しい国際機構──国際連邦政府を発足した。

 形骸化していた文明の、衰退・停滞からの脱却。連邦制による世界の半統合化で、パンノニア帝国への未然の攻撃回避など、複数の問題解決を睨み採決されたものだった。

(しかし事の全てが上手くいくとは限らなかった……)

 カップをソーサーの上に置き、レジナルドは椅子に身を沈めた。

 文明のレベルは昨今戦前と同程度、国によってはそれ以上の文明を手に入れることに成功した。さらに国家の衰退などの情勢から立ち直るため、わずか数十年のうちに世界中で積極的な国家併合・吸収も行われた。

(だが、半ば予想していたことが浮き彫りになってしまった……)

 しかし国家統合・吸収が進むに辺り、国内の潜在的な問題が表面化し、中東やアフリカの紛争を始め、近年ではイギリスでも内紛が発生。国連側が吸血鬼という存在の解消に必要以上に時間を割いてしまったため、肝心の人間同士の問題を浅はかにしたのだ。

 これらを鎮静させようと国連は動き出すものの、あとの祭りだった。国家間の問題は局地的に激化。吸血鬼対策も万全とは言い難い。

「そういえばリーガの件はどうなされたんですか?」

 秘書のシルビアの声が、レジナルドを現実に引き戻した。疲れが溜まっているのか、最近よく自分の世界に入り込んでしまう気がある。気負いすぎか、と少し自嘲した。

「二名あちらに派遣したよ。親しい友人の頼みだからね、無下にするわけにもいかない」

 幼少の頃から付き合いのある友人から依頼を頼まれたのは、二ヶ月ほど前だ。

 リーガ市内で起きている婦女暴行事件。これが単なる猥褻な事件なら、リーガの市長である友人から、国連に勤める自分に連絡など来なかったはずだ。

 しかし、警察が被害にあった女性から聴取を続けていくうちに、ある共通点が浮き彫りになったらしい。




 ────曰く、異常に発達した犬歯を見た(、、、、、、、、、、、、)、と。




 当初は錯乱していたのだろうと警察側は考慮したようだ。だが、同じ発言が何度か繰り返されていくうちに、事件に吸血鬼は関与していないという否定的な声は少なくなっていった。その数日後には市長の耳にまで届いたそうだ。

「個人的な理由から賞金稼ぎを動かすことは権限上禁止されてます。大丈夫なのですか?」

 彼女の言うとおり賞金稼ぎは、一個人の力で動かせるものではない。特に国連から賞金稼ぎに直接依頼する場合は最低限、吸血鬼出没の証拠を確認しなければならない。

 だが、今回のリーガの事件ではそれが無いのだ。報告によると襲われた女性は皆、吸血鬼出没のもっともたる証拠の"血を吸われた形跡"がないらしい。

「平気さ、幸い顔の利く者だからね。国連の中にはワタシ以外にも同じ事をやっている輩も少なくはないはずだ」

 国連に勤める者として、賞金稼ぎを公式以外で動かすことは不可能だ。だが個人的に交友のある賞金稼ぎに依頼することは、非公式ながら可能だった。

「それに派遣した賞金稼ぎはAクラスとCクラスの人材だ。万事解決してくれるだろう」

「Aクラスの賞金稼ぎ……。意外です、局長がそれほどの高ランクの賞金稼ぎと顔見知りだなんて。あ、申し訳ありません。差し出がましいことを言ってしまって……」

 非礼を詫びるシルビアに、レジナルドは優しく笑みを返した。

「ははは、気にしてないよ。まあ、顔が利くと言ってもワタシの息子なんだけどね(、、、、、、、、、、、、)

 レジナルドの台詞が余程意外だったのか、シルビアは目を大きく見開いていた。

「息子さん……ですか?」

「そう、息子。これがきかん坊でね。くわえて短気で、ほんと誰に似たんだか……」

 国連のサミットが終わったにもかかわらず、レジナルドは再びため息をついた。リーガで起きている事件が吸血鬼絡みなら、彼らがなんとか解決してくれるはずだ。だがそれが平穏に片付くかと言われれば、思わず唸ってしまう。

 派遣したのは二名。両者とも賞金稼ぎとしての実力は折り紙付きなのだが、自分の息子の方は一癖も二癖もある難物だ。こればかりは結果報告が来るまで断腸の思いである。

(あの子にも随分と苦労を掛けているな……)

 その息子の相棒である日本人の少年。彼も賞金稼ぎとして十分な実績を持つ者なのだが、半年ほど前に会ったときは息子が随分と世話を掛けている様子だった。

 傍から見ても凸凹コンビの両者のことを気にしつつ、レジナルドはシルビアに紅茶のお代わりを要望した。






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