──U──



「2083年2月14日、北アイルランドの地上のものを全て掻き消した『灰色のバレンタイン』という不可解な事件は、第二次イギリス紛争を誘発する原因にもなりました」

 まどろんだ耳朶に、何やら小難しい単語が吸い付いてくる。寝返りを打って話し声から逃れようとするが、心なしか先ほどより耳に響く声音が大きくなった気がする。

「この事件を機にイングランド、ウェールズ、スコットランドの三ヶ国は一時休戦を撤退。エリザベス女王の暗殺以来、再独立したイギリス地方は国連の助力も虚しく、今なお紛争やテロ事件が多発するといった──」

 説明調の話し声が突然ピタリと止んだ。

 蛮はホッと安堵するが、

「Mr.蒼馬! Get up!」

「──ッ!?」

 張り上げた誰何の声に反応して、ガタン! と大きな音を立てながら蛮は跳び上がった。

 目の前には教科書を片手に腕組みをしている、初老の女性教師の姿があった。見るからにご機嫌斜めといった様子だ。

「……え、えっと」

 蛮は微かに困惑した顔で現状を確かめようと目配せする。

 別段、特に珍しくもない高校の教室だった。唯一、普段と違うところを上げるとしたら、教室にいる他の生徒の視線が全て自分に注がれていることくらいだろう。

「これで三日連続ですよ」

「す、すいません」

 か細い声の謝罪と同時に、どっとクラスが沸いた。どうやらまた居眠りしてしまったようだ。

 居たたまれない気持ちが尾を引きつつも、蛮は静かに席に腰を下ろした。





「眠そうだなー」

「眠そうじゃなくて実際に眠いんだよ」

 昼休み。

 机の上に突っ伏している蛮に、前席で雑誌に目を通していた少年が声を掛けてきた。

 長身痩躯の少年だった。名をリーナス・ハイネンという。

 逆毛にした金の短髪。適度に整ったルックスの持ち主だ。

 長身という事もあって運動神経は良いらしいが、本人は頭脳派だと断言し、事実コンピューター関連に強い。蛮も一度だけ見せてもらったことがあるが相当なものだった。もっとも、それがクラッキングという不正行為でなければ、素直に感心できたのだが……。

「夜更かしでもしてるのか? ハハーン、さてはオレと同じでレヴァナーの試合のチャンピオンズリーグ決勝戦が待ち遠しくて眠れなかったんだろう? その気持ちよぉ〜く分かる! なんたって今年はエアレズとハーミズだからな。く〜〜〜、エアレズ最高ッ・♪」

「少し違うけど……まあ、似たようなものかな」

 適当に相づちを打ち、蛮は大きく欠伸をする。どうも日が昇っている時は緊張感が抜けて、変わりに虚脱感が体を蝕んでいる気分だった。最も『本職』のある夜中に怠惰な姿勢を見せるよりはずっとマシだ。

 しかし机の上で仮眠体勢に入っている蛮を見て、リーナスは一つため息を吐いた。

「おいおい、こんな眠くなるまで夜更かしして一体何してるんだよ? 言っておくけど、今週の金曜は祝日だからって昼過ぎまで寝るなんていう野暮な真似はするなよな」

「どうして? ……ああ、お祭りか」

 瞼が半分ほど落ちている目で蛮が答える。

「そ、オレは三日間とも朝から晩までぶっ続けで祭りに参加するつもりだけど、オマエはどうすんだ? なんならオレたちと一緒に回るか?」

 オレたち、というのは恐らく彼の友人を指しているのだろう。しかし蛮は。そんな場所に自分のような新参者が加わるべきではないと思案した。

「うん、まあ……明日までに考えておく」

 曖昧とした返事を返し、蛮は縮こまった。今朝方の坐禅のことを思い出し、身を震わせる。いくら祭りとはいえ、朝っぱらから外には出たくないという一抹の本音も含まれていた。

「けど、学校に来る時も思ったんだけど、やっぱりこの国に住む人ってお祭好きだよね……」

 十月十八日の終戦記念日は国によって趣旨は違うが、大抵の場合が追悼式などで死者の魂を供養する日であると根付いている。しかし、このバルト共和国はソビエト連邦支配からの解放を祝う日でもあった。

 "先の大戦"後、ソビエト連邦の支配から解放されたバルト三国──エストニア・ラトビア・リトアニアは一時独立するが、戦争の爪痕による衰退が酷く、戦争終結から間もなくして併合。国名を『バルト共和国』としたのだ。

「まあ、もともとこの国って祭り好きで有名だからな。だからこそ、毎年観光客が凄いんだ。多分、当日はまともに歩くこともままならないぞ」

「日本に住んでたときニュースで見たことがあるよ。毎年、他の国からも大多数の観光客が押し寄せてくるらしいね」

「ああ、オマエってニライカナイ出身だっけか。あっちじゃ祭りとかねーの?」

「特にそういった行事はないよ。お盆ってわけでもないから」

 へえ、とリーナスは相槌を打ち、何か考える風に思案顔になる。

「でもさ、ニライカナイってオキナワって所の近くにあるから年中暑いんだろ。いいよな〜、祭りに最適じゃん。こっちは隣が閉鎖区域だぜ? 夏でもさっみーのなんのって」

「いや、ニライカナイも大気制御衛星が働いてて四季が分けられてるんだよ。だからあっちも今は寒いはずだった気がするけど……」

 蛮の返答にリーナスの顔が胡乱に歪む。ハァ、と小さくため息を吐き、

「……夢を壊すなよ。ホット飲料を低温にして飲まされた気分だぞ」

「……僕にどうしろと?」

 蛮は胡乱な瞳を相手に向けつつ返答を返す。

 しばしの静寂の後、リーナスがおもむろに口を開いた。

「ときにバン、オマエ将来の夢とかあるのか?」

「……藪から棒に話をすり替えてきたね」

「まあまあ、いいじゃんか。オレとオマエの仲だろう?」

 快活に笑うリーナスを見て蛮はため息を吐く。

 夢── 一つの物事を目指して精進し、躍進し、邁進するもの。希望や願望を指し、それを実現したいという行い。夢を叶えるのはその度合いにもよるが、大抵は叶わないものだと相場が決まっているものだ。

「別にこれといって特にないけど……そういうリーは?」

 リーことリーナスは含み笑いながら、まっていましたとばかりに先ほどまで読んでいた雑誌を開き、それを蛮の前に突きつけた。

「ふっふっふっ、これだ!」

「…………セイレネス?」

 見開き二ページを使用して、どこかの南国で写真目線にポーズを取る、水着美女が二人写っていた。セイレネスという売り出し中のフランス人と日本人の若い二人組ユニットだ。

「ん? あー違う違う、これじゃねえ。こっちだ、こっち!」

 一ページ捲り、再び見開いた雑誌を蛮の目の前に寄こす。その記事の写真と、大きく載せた一文を見ただけで、その内容はすぐに理解できた。

賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)? まさか、君、この試験を受けるつもりじゃ……」

「フフン、そのまさかさ!」

 腰に両手を当て、リーナスは豪快に笑い出した。

 蛮は再び視線を机の上にある雑誌に落とす。口髭を片手で弄びながら、いぶし銀の魅力を放つダンディーな男性が、こちらを指さしている。大きなフキダシには、ただ一言、一度はCMなどで耳にしたことのある謳い文句がデカデカと載せられていた。





『さあ、キミも賞金稼ぎになって吸血鬼(バンパイア)を狩ろう!!』





†             †             †





 事の発端は西暦2015年。冷戦真っ直中にあったアメリカ連邦と、ソビエト連邦の衝突が、後の事件のもっともな原因とされている。

 戦火は更なる戦火を呼び、一年が経たずにして第三次世界大戦が勃発した。

 だが第三次世界大戦は、その翌年に意外な形で終戦となった。それは突如として人類の前に"奴ら"が現れたからだ。

 第三次世界大戦の早期終戦と同時に、にべもなく襲いかかってきた"奴ら"に対して人類は共同戦線を張ることを余儀なくされた。

 これが世間一般でいう"先の大戦"──いわゆる、《第一次種間戦争》の幕開けだった。

 だが戦況は端から圧倒的に不利だった。アメリカに初めて出没した"奴ら"はその暴力的な"力"を持って人類を屠り、あまつさえ自らの同族を無尽蔵に増やしていったのだ。知力も人並みにある"奴ら"が、アメリカ大陸から別大陸へ侵出するのはそう遠くはなかった。

 この危機的な状況を打破するべく、いち早く動いたのは、ローマにある世界最小の主権国家のバチカン市国──当時の教皇ユダ一世だった。

 彼が神の御業としかいえない現象を具現化させた、《聖遺物》なる存在を世に送らなければ、今ごろ地球は"奴ら"の支配下にあったに違いない。

 さらに《アイオーン》と呼ばれる戦士たちの加勢もあり、三十年という長い歳月を掛けて、大きすぎる代償と共に、二つの種族の争いを終戦へとこじつけることができたのだ。

 しかし、それは飽くまでも終戦へこじつけただけに過ぎなかった。

 戦争が終結した後も"奴ら"の一部は生き残り、日本の『東京』と呼ばれる場所に拠点を置き、今も脈々と息づいている事実に変わりはない。

 終戦から四十年余りが経った。

 "奴ら"絡みの小中規模の事件や紛争は途絶えることなく続いている。闇の向こうで跋扈していた"奴ら"は、もはや因果関係なのか、人類に悪い方向で度々接触を試みてきた。

 そして人類は"奴ら"のことを太古の民話や伝承になぞらえ、こう呼び続けている────















 ────────────吸血鬼(バンパイア)と。



















†             †             †





「……無理なんじゃないかな」

 賞金稼ぎに関する概要が記述されているページに目を走らせ、蛮は歯切れの悪い台詞を吐く。大口を開けて笑っていたリーナスは、踵を返すよう物凄い形相で顔を近づけ、

「なにを言う! まだ試験も受けてないんだぞ!?」

「いや、だってこれ凄い倍率なんだよ。それに、ハンター稼業は、危険も、リスクも、多いっていうし……!」

 語尾が途切れ途切れなのは、顔が触れ合うほどの距離まで接近してきた鼻息の荒いリーナスから逃れるように、蛮が身を仰け反らせたからだ。

「バン! それでもオマエはサムライか! ヤマトダマシイを持つものか! いずれオレの相棒になる男なのか!?」

「この際、物凄く聞き捨てならない言葉は置いておくことにしよう。それよりも、この前までジェネシス社のエンジニアになるとか言ってなかった?」

 蛮がリーナスとそこそこ会話を交すようになったとき、『オレはあの世界的に超ビッグなジェネシス社のエンジニアになってみせるぜ』と豪語したことがある。

 それが、いつのまにやら賞金稼ぎ。以前から優柔不断なところは自分によく似ていると感じていたが……どうやら、更にその斜め上を突っ走っているらしい。

「見てろバン! オレは必ず賞金稼ぎになって大成してみるぜ! 夢はでっかくSクラスのダニエル・ローガンだ!」

「…………人の話、聞いちゃいないね」

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った後も、リーナスの笑い声は教室の外まで木霊していた。半ば授業妨害とみなされたリーナスは、次の授業の教師に叱られ、なぜか蛮も共犯扱いになった。そして罰として廊下に立てという、古き良き(?)制裁を被ることになった。






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