その日が雨だったのを私はいまでも覚えている。

  鼠色の暗雲が垂れこめ、そこから雨滴がシトシトと落ちてくる。まるで、この状況を神さま
 が分かっていて、わざと悪天候にしているのではないかと、曇った空を見上げて思ってしまう。

  パターデルの村で行われた静かな葬式。喪服に身を包んだ人々が傘を差し、村外れにある
 屋敷の裏庭に集まっている。私もその参列者の一人だ。

  黒い服の弔問客が、目の前にある棺のなかで眠る死者に別れの言葉を囁く。

  ある者は嗚咽を漏らしながら、ある者は慟哭を交えて……。二つある棺の男女に弔いの言
 葉を投げる。私も棺のなかで永眠する両者を見て泣き出しそうになった。

(おじさん……おばさん……)

  ドナー家夫妻の死因は、自動車による崖からの転落事故だったそうだ。

  都市部で購入した自動車を試運転がてら、パターデルまで乗って帰ろうとしたらしい。し
 かし、ハンドル操作の誤りで崖から転落したそうだ。

  ──即死だったらしい。

  村人たちの誰もが嘆いた。

  生前、隠居生活を機にパターデルの土地を買い取り、地主としてその土地を村人に安く貸
 し与えたドナー家の当主。温厚な性格で誰彼無しに愛嬌を振る舞っていた彼の妻。おしどり
 夫婦として知られ、村人からは深く信頼されていた。

  ──だが彼らは死んだ。

  痛みも感じずに死んだのなら不幸中の幸いなのかもしれないが、それでも亡くなったこと
 に変わりはない。哀しみは大きく、虚無感が胸の中を空洞にする。

  けど、この場にいる誰よりも悲哀を感じている人を……私は知っていた。

  両方の棺をまんべんなく視認できる場所に佇む一人の少年。雨に打たれながら棺をジッと
 見据えるその瞳は、昨夜泣き明かしたせいか腫れぼったく見える。

  ただ一点に焦点を合わせる少年──アンディ・ドナーは、安らかに眠る両親を見て無言を
 貫いていた。

「…………アンディ」

  誰も言葉を掛けようとしない。否、掛けられないのだ。

  両親を失う哀しみは息子である彼が一番に分かっている。必要以上の同情はかえって仇と
 なりかねない。だから、そっとしておこうとその場に暗黙の了解が浸透していた。

  それは悪いことではない──と、私も思う。だが、家族を失って虚ろな気分の彼を放って
 おくのも些か良心に欠けるというものだ。

  いつの間にか、私は傘を片手に彼の隣に立っていた。

「……エルミナ」

「大丈夫?」

「うん……」

  小さく聞き取りづらい声音だった。

  覇気のまったく感じられない声。空虚な瞳が、こちらへと向けられるものの生気がない。
 ひどく焦燥しきった体をみせるアンディは、再び視線を棺へと向けた。

「僕は……父様や母様が、天国で安心して見ていられる立派な当主になってみせる」

「アンディ?」

「きっと……きっとだ……」

  彼の思い詰めた表情は棺に向けられ、握りしめた拳が皮膚に食い込んでいる。

  言葉を二三かけるが全く聞こえていないようだ。ブツブツと小言を吐く彼の耳に結局、
 私の声が届くことはなかった。












     【第4章 錬金術師現る】





     〈8〉



  朝食を終え、いつものように子供たちを学校へ送りやる。

  客人であるマリアは今朝起きると、なぜか目の下に隈を作っていた。虚ろな瞳は焦点が定
 まらず、朝食を食べているときも、あちこち虚空を彷徨っていた。

  「ちょっと寝不足でね……」と答えた彼女は朝食後、進んで家事の手伝いをしてくれた。
 エルミナは必要ないと言ったのだが、マリアは断固としてこの方針を曲げなかったのだ。

  頑固者だな、とエルミナは掃除用具を持って移動する彼女の背中を見て微笑んだ。

  良くも悪くも実直で素直な少女だと思う。時たま、なにか小言で囁き一人芝居にも似た奇
 異な行動をとるが……まあ、それは目を瞑っていても問題ないだろう。

  それになんといっても美人だ。正直に羨ましいと思う。

  比べて自分は、くすんだ赤毛の髪と、少しだけそばかすの残った鼻元が目立つ容貌。彼女
 のような容姿に自ずと憧れのようなものを抱いてしまう。

  やはり"彼"もマリアのような異性を好むのだろうか、と。

  時間は流れ昼食も済ませると、マリアはヒューゴが住んでいた山奥の小屋を再度調べにい
 くことにしたそうだ。

『もう少し隈無く探してみようと思って』

  と言い残し彼女は山へと再び向かった。

  彼女は父親であるヒューゴ・ナーディムの遺留品を求めて、この辺境の村まできたらしい。
 しかし、残念なことにその遺留品の大半は、"彼"が処分してしまい、小屋の中はもぬけの殻
 だった。

  それを知っていたにもかかわらず、昨日は小屋に着くまで本当のことを伝えることができ
 なかった。小屋を離れるときの、彼女の下手な作り笑いが余計に罪悪感を募らせた。

  この村に訪れる人たちをエルミナはどうしても疑惑の瞳で見てしまう。村で起きている事
 件を都市部の方で嗅ぎ付けたのではないかと否応に思ってしまうからだ。

  マリアに対しても表面上では普段どおりに振る舞ってはいたが、実際は警察の類なので
 はないかと懸念していた。

  だから"彼"の住む屋敷には近づくなと念を押していたのだ。

  ──結局そのようなことは無かったが。

  こんな辺鄙な村で起きている事件など、都市の方では事件のうちにも入らないのだろう。

  それに安堵しつつも、しかしエルミナはパターデルで起きている事件が、最悪の形になるの
 も時間の問題なのではないのだろうかと危惧していた。

  最悪の形──それは『死者』がでることだ。

  今はそこまでの大事には至っていないが、このままではいずれ大事では済まなくなってし
 まう。それは避けなければいけない。

  ──だからもう逃げるのは止めようと思う。

  孤児院に誰もいなくなったのを機に、エルミナは単身村外れの屋敷へと向かった。





     *     *     *     *     *





  呼び鈴を鳴らし、しばらく屋敷の門の前に佇んでいると、麻のローブのようなもので身を
 包んだ背丈の低い男性が家屋の方から歩み寄ってきた。

(あんな人いたかしら……?)

  屋敷からこちらに近づいてくる痩躯の男性に、エルミナは見覚えがなかった。幼い頃は毎
 日のようにこの屋敷を訪れたものだから、使用人の人たちとは顔見知りだったのだ。

  しかし、去年の暮れあたりからその使用人たちを一人たりとも見たことがない。

  ──屋敷で働いていた彼ら全員が解雇にされたと聞いたのは、今年に入ってからだ。

  子供たちの世話で忙しいこともあり、この屋敷に来るのも久しいエルミナは、すでに目の
 前まできた男性が新しい使用人だろうか、と簡潔な答えをだしていた。

「なにかご用でしょうか?」

「あの……アンディに会わせてくれませんか?」

「主に? 失礼ですが、お会いになるご予約などはされておりますかな?」

「いいえ、そういうのはしてません……。けど、どうしても話がしたいんです、彼と」

「…………」

  しばし考え込むように押し黙る男性。エルミナは彼に真摯な瞳を向けたまま、良い返事が
 返ってくることを願う。そして──

「いいでしょう。ですが主が面会を拒絶した場合は即刻退出していただきます。宜しいですか
な?」

「は、はい! それで構いません」

  重そうな門がゆっくりと開かれる。ローブを纏った男性に「着いてきてください」という
 指示のもと、エルミナは今は懐かしき屋敷の中へと足を踏み入れた。





  正面玄関を通過し、螺旋階段を上る。長い廊下をしばらく歩くと、自分の前を歩いていた
 ローブの男性の足が止まった。

「こちらです」

  頭上の壁に取り付けられたプレートに『書斎』と書かれていた。

  エルミナは部屋へと続くドアを開ける。

  ドアを開けると立ち込める埃に咽せそうになった。日中の日射しが、ちょうど真ん前にあ
 る窓から差し込んできて、埃の存在をさらに浮き立たせる。

  その窓を背にして、大量の本や紙の束が積まれた書斎の机で何やら作業をする青年がいた。

  部屋に入ってきた気配を察知したのか、その手が止まる。ゆっくりと顔が上がり、その姿
 を露わにした。

「久しぶりだねエルミナ。君から訪れに来てくれるなんて珍しい。元気にしてたかい?」

  値の張りそうなベストとズボンに身を包む、線の細い秀麗な青年が微笑した。

  肩口辺りで整えられた金髪に包み込まれた顔は、どことなくまだ大人になりきっていない
 ようだ。青年の瑠璃色の瞳がエルミナを一瞥した後、すぐ手元の作業に戻った。

「アンディ……」

  現ドナー家の当主──アンディー・ドナーがそこにいた。

  やつれた顔や手入れのされてない髪を気にする様子もなく、手元の作業に没頭している。
 辞書のように分厚い本を開いては目を通し、紙に書き留めていくという作業を続けていた。

「それより何の用かな、エルミナ。僕はこう見えても忙しい身なんでね。用件があるのなら手
早くすませてくれ」

  ペンを紙の上で滑らせつつ、アンディは口を開く。そんな彼の態度に軽い不快を感じて、
 少しだけ強い口調で話しを始めた。

「お願い。村で起きてる事件を止めて」

「事件? 何のことか解らないんだが……詳しく説明してくれないかな?」

  分厚い書籍に目を通し、手は執筆を止めずアンディは器用に肩を竦める。

「嘘をつかないで。夜な夜な村で徘徊してる化け物はあなたが飼い放してるんでしょう。だか
ら──」

「やれやれまたその話か……」

  村で起きている猟奇事件の首謀者、或いは中心にいるのがアンディだということをエルミ
 ナは知っていた。いや、おそらく他の村人も薄々は感じているはずだ。

  それでも本人に直接問わないのは、彼がこの辺一体の土地を治める地主だからだ。無理に
 問い詰めると、後々自分たちの私生活に影響がでるから強く言い出せないでいるに違いない。

「言っただろう。君の作り話はウンザリだ。"彼ら"がそんなことするはずがない。それに"彼
ら"を化け物呼ばわりしないでくれ。僕の大切なペットなんだから」

  にも拘わらず、彼は飄々とした態度で答えを返した。

  自分はなにも悪いことはしていない。それは君の思い違いだ、と言わんばかりの流暢で悪
 びれのない言い草にエルミナは涙腺が緩みそうになった。

「他の村人たちも、あなたを疑いだしてる。責め立てられるのは時間の問題よ。大事になる前
に止めないと……」

  それでも彼を信じているエルミナは、アンディに努めて真摯に言いかける。

  今は怪我で済んでいるからいいものの、死人などでた日には村人全員がこの屋敷へ押しか
 けてくるかもしれない。

  しかしエルミナの必死の弁舌は、彼の胸中に何の影響も与えなかったようだ。熱心に手中
 の作業に没頭するアンディは、エルミナの舌足らずな台詞に耳を貸すこともなかった。

  ぞんざいに扱われたようで、息苦しさを感じた。頬から涙が伝う。

「アンディ、あなたは変わった。ご両親が死んでから、ひたむきに頑張ってきたのに……今の
あなたはあなたじゃ無くなった気がする」

「……僕は変わっちゃいない。以前の、昔の僕のままさ」

「けど、アンディ──」

「いい加減にしなよ」

  冷たくあしらわれた。一言でエルミナの発言を掻き消したアンディは、鬱陶しそうに顔を
 上げる。鋭い視線がエルミナを射抜いた。

「確かに、君の言うとおり僕は変わったよ、一般人から錬金術師という存在に、、、、、、、、、、、、、、、……。だからこ
そ、君たちのような村人たちとは違う。もしこれ以上邪魔をするなら……クリストファー」

「ここに」

  扉の前に佇んでいたローブの男性が恭しく一礼する。

「彼女を牢屋に入れたまえ、丁重に頼む。エルミナ、君はそこで少し頭を冷やしてくれ。ただ
し、抵抗すると言うならば……」

  アンディは哀愁の漂わせる顔をエルミナに向ける。それが本心なのか偽りなのかは定かで
 はない。だが彼に良心の呵責を感じていて欲しいと願わずにはいられなかった。

「強引かもしれないが、僕のペットたちが君を抑えにかかる。幼なじみの僕にそんなことをさ
せないでくれ」








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