〈な〜、マリア〜。やっぱさ、これは不味くないか?〉

「気乗りのない返事ね。言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ」



















〈………………家宅侵入なんて止めようぜ〉

















     【第3章 抑えきれない好奇心】





     〈7〉



  視界に入るもの全てを、夜の帳が身も蓋もなく覆い尽くそうとする。夜空に縫いつけられ
 たようにして展開する星々と月が淡く瞬いていた。

  文明の利器が行きとどいてない田舎だからこそ、これほどの大自然の景色を覧勝すること
 ができるのだろう。都会ではそうそうお目にかかれない情緒ある眺めだ。

  マリアがいまいる場所は、散歩がてら昼間に見た村外れの屋敷──その門構えから距離を
 置いた外縁のレンガ壁に体を密着させていた。

  ──どこからどう見ても不審者にしか見えなかった。

  誰がどの角度から見ても、今のマリアは間違いなく不審者および、その類の人種に見間違
 えられるだろう。これが都会だったら、巡回中の警官に補導されかねない光景だ。

〈なーなー。やっぱり引き返そうぜ。いくらなんでもまずいぞ、これは〉

「小心者ね、セロンは。時には危ない橋を渡ることも必要なのよ」

〈それとこれとは話が違う気が……〉

  忍び足でレンガ壁を伝い、物音を立てないように移動する。にじり寄るようにゆっくりと、
 それでいながら細心の注意をはらって、マリアは屋敷への侵入ルートを探していた。

  エルミナに近づくなと注意されたが、あいにくマリアはそれを素直に受け入れる性格など
 もってはいなかった。申し訳ないと思いつつ、彼女と、そして子供たちが寝静まったのを見
 計らってここまで来たのだ。

(ごめんね、エルミナ。でも、どうしても知りたいの……)

  どうしても必要なのだ──自分とセロンが探し求めている《秘法》の情報が。

  エルミナの仲立ちで父親の私物が閲覧できれば、それに越したことはない。しかし、その
 希望も消えてしまった以上、強硬手段に踏みきることにしたのだ。

「じゃあ聞くけど、セロンはわたしに意見を述べられるほど真っ当な生活を送ってきたのかしら?」

「……肯定できないところが悲しい。そりゃあ、錬金術を学ぶ者として危険なことに自ら足を踏み
込んだこともあるさ。その中にはお前も知っている通り『禁忌』に近いものにさえ触れたこともある」

  セロンの声は硬質を含んでいた。

「だから、これ以上、人目を引いちまう不祥事は起こしたくないっつーか……そもそも、どうして
ここなんだよ?」

  マリアはあっけらかんと答える。

「怪しいから」

〈今すぐ方向転換して真っ直ぐ帰宅しろ。何を考えてるんだ、お前。馬っ鹿じゃ──ごぶゥッ!?〉

  セロンの口から苦悶が漏れる。一方、マリアはというと、どこから取り出したのか右手に
 持っていたチーズを口に入れ、もぐもぐと咀嚼していた。

「チーズは持参ずみ」

〈おのれは鬼か!〉

「だったら静かにしてて。こんなところで口論なんかして見つかったら洒落にならないわ」

〈これ、なんて主従関係? うぅ……、俺どこで進む道を間違ったんだろ。人生をやり直せる
なら即効替えてえ……〉

  しくしくと涙声で嘆くセロン。なまじ常日頃からマリアの身勝手な振る舞いに付き添って
 いるのだから、後からくる反動も大きいはずだ。

  そんなセロンの気持ちを知るよしもなく、マリアは壁づたいに移動を続ける。端の方まで
 向かうと、白墨を取り出し壁に錬成陣を描き始めた。

〈今度は間違えるなよ〉

「分かってるわ」

  こんな真夜中に昼間のような爆発事故が起これば、ただでは済まないだろう。それ故に、
 セロンの指摘をしっかりと汲み取り、マリアは細心の注意を払って錬成陣を描き上げる。

「これで……よし」

  錬成陣を描き終えると、その現象は起きた。レンガの壁の一部が砂上の楼閣の如く崩れ落
 ちていくのだ。『分離』の錬金術を成功させることができたマリアは安堵の息を吐く。

  錬金術で空けた小さな穴から四つん這いで屋敷への侵入を試みる。思いのほか、すんなり
 と侵入することができた。

「それに、あの人の私物を引き取ったまま処分せず、保管してる可能性だってあるじゃない。
もしかしたら、わたしたちの探してる《秘法》に関する資料が見つかるかもしれないし」

〈そう旨くいくとは思えないけどな〜〉

「セロン、あんたにも関わってるんだからもっと積極的になりなさいよ。それに錬金術師とし
ても、この屋敷から漂うきな臭さは調べてみる価値ありなのよね」

  ヒソヒソと喋りながら、屋敷の庭を這いずる姿はどこか滑稽だ。弓なりの形の月が、そん
 なマリアの姿をあざ笑うかのように上空で輝いていた。

〈彼女が言ってただろ。村人がここいらで襲われてるって〉

「もちろん覚えてるわ。それも踏まえた上で調査するのよ」

  屋敷側の壁へと身を寄せ、続いて再び壁伝いに移動する。

〈相も変わらず好奇心旺盛というか、怖い物知らずというか……。けど、その強い好奇心のせい
で、いーっつも不運な目にあってる俺の身は? つーか、そもそもおまえ錬金術師じゃないだろ〉

「うるさい。黙れセロン」

  セロンの饒舌を一蹴する。

  ふと、目の前にヒラヒラと揺れ動くものを視認し、マリアは思わず身構えてしまう。しか
 し夜目を凝らしてみると、その正体にホッと胸をなで下ろした。

  屋敷の窓が開いており、そこからカーテンの端がはみ出してみたのだ。覗き込むと、そこ
 には雑然とした物置らしき部屋があった。

「ここから入れそうね」

  躊躇する間もなく、マリアは窓から侵入を開始した。





  物音一つしない無音のような空間。光源が窓から差し込んでくる月明かりのみしかなく、
 いささか頼りない。

  マリアは、静寂と薄暗さに包まれた横幅の広い廊下に気圧されたように、一瞬ひるみそう
 になった。

  それでも気持ちを鼓舞させるように、赤い絨毯の敷かれた廊下をできるだけ足音を立てず
 に歩き始めた。

「けど、本当に静かね。なんていうか……生活臭が感じられない。幾ら真夜中とはいえ、人の
気配が全く感じられないなんて不思議だわ。気味悪い」

〈気づいたことが二つある〉

 セロンの固い声が耳朶に触れた。

「気づいたって、何を?」

〈屋敷の前に構えた庭園が異様に荒れてただろう。これだけ広いと普通は庭師を雇うなりする
はずだ。なのにそれがない〉

「言われてみれば……」

  追憶してみると、確かにセロンの言うとおりだった。

  散歩の途中にここへ訪れたとき、ちらりと門から庭園を覗き込んだのだが、その荒れよう
 は覚えている。大量の動物に気を取られていたせいで、その存在を軽視していたのだ。

〈もう一つはお前の言うとおり生活臭が無いことだ。妙だと思わないか? 部屋の窓が無造作
に開いてるし、掃除された形跡もない。歩けば埃が異様に飛ぶ〉

  度重なるセロンの指摘は的確に要点をしぼっていた。赤い絨毯に足を鎮めると、それだけ
 で埃が舞うのだ。たいして強く踏み入れていないのに、これは以上だ。

「それは理解できたけど。……具体的にどういうこと?」

使用人が一人もいないんだよ、、、、、、、、、、、、、。これだけの広さだぞ。おかしいと思わないか?」

  セロンの鋭い問いかけに、マリアは小さく唸り声を上げる。

「んー。アンディって人が人嫌いとか?」

〈…………それマジで言ってる?〉

「なによ、悪い?」

〈嗚呼、俺はどうしてこんな奴とコンビ組んじまったんだろ。誰か代わってくれる良心深い魂
がいてくれないだろうか……まあ、そんなチャレンジャーがいるとは思えないけど〉

  酷い言われようだ。そこまで言われる筋合いはないと叫びそうになるが、この場ではそれ
 を実行することもままならない。後でチーズ地獄の刑を行わなければと断固決意する。

「書斎は……どこかしら?」

  まず始めに手をつけるのは、ヒューゴが生前に所有していたと思われる書籍類だ。

  セロン曰く、ヒューゴが所持していた錬金術の書籍は、茨の道を通ってでも手に入れる価
 値があるそうだ。

  普通ではお目にかかれない秘蔵書が見つかる可能性があるという。彼の弟子だったから
 こそ言えるその台詞に、マリアは心強さを感じていた。

  それにしても随分と長い廊下だ。一直線にはしる廊下の端から端まで五十メートルはくだ
 らないとマリアは推測する。端まで行くのが非常に面倒だ。

  廊下を歩き続けていると分かれ道に出た。

  右方と前方。右方には玄関先なのかだだっ広い空間が、でんとマリアを待ちかまえるよう
 にして現れた。螺旋階段が見える。あそこから二階へ移動することも可能のようだ。

  それとは別に前方には地下へと続く階段があった。ランタンなどの光源は存在せず、黒く
 塗りつぶされたような暗黒の世界が、マリアを誘い込まんと構えている。

「……どっち行く?」

〈どっちでもいいだろ〉

「ちょっと、その投げやりな態度はなによ。少しは緊張感もたせなさいよね」

〈それは俺が言うべき台詞だ。それにこの状況下じゃあ、どっちが当たりか分からないからさ。
とりあえず近い方から調べたらいいんじゃないか?〉

  セロンの適当な返事に癇癪を起こしそうになるが、冷静になれと自分に喝を入れる。そう
 だ。調べてみないうちには正否など分かるはずがない。

「なら、まずは正面からね……」

  マリアは再び歩き始める。

  暗闇へ身を委ねるようにして、地下へと向かった。





  階段を下り終えると、そこには石畳の通路があった。

  空調がきいているのか、涼やかな風がマリアを包む。だが、吹き込んでくる微弱な風は、
 この場に漂う怪しげな雰囲気を強調させるだけだった。

  さらに少しだけ進むと、現れたのは重厚な鉄扉だ。両開きタイプの扉が、その存在を露わ
 にした。マリアはその鉄扉を何となしにゆっくりと押す。

「開いてる……?」

〈……みたいだな〉

  獣の呻き声のような音を発しつつ鉄扉が開く。扉には施錠が掛けられておらず、内部へす
 んなりと入ることができるようだ。

  鉄扉を開いた瞬間──マリアは眼前にある光景に目を剥いた。

「なん、なの……これ?」

  そこは異様な一室だった。

  そこそこの広さを設けられた地下室に、所狭しと並べられた檻。そのなかに入れられた大
 量の動物。それだけなら昨日見たため、特別ここまで驚愕することはなかったはずだ。

  ──普通ではない生き物が混じっていた。

  猿の頭と犬の体。ワニの体に生えた翼。ライオンの下部から尻尾のように生えた蛇。えら
 く伸びた闘牛士の角はサイのそれを彷彿とさせる諸々──この世には存在しない奇怪な生き
 物のオンパレードに直面して「これは夢?」と、しばし困惑した。

  ──まるで、別の動物同士を組み合わせたような……。

  頬を強くつねり〈イダダダっ!〉というセロンの悲痛の声が聞こえたので、夢ではなく現
 実だと理解した。

「ちょっと、なによこれ……。どう考えても普通の生き物じゃないじゃない」

  視野を広げると、壁際に本棚が何重にも積み重ねられたように配置されている。

  地下室の中心に設けられた横長の卓上には、いかがわしい薬やボコボコと沸騰するフラス
 コの中身の液体。他にも怪しい薬品などが、天井に吊された裸電球で鈍く輝いていた。

〈そういうことかよ……クソっ〉

 セロンの舌打ちが聞こえた。なにかに憤っているような感じだ。

「なに、どうかしたの?」

〈いますぐここから逃げろ。これ以上、ここにいるのは不味い〉

「不味いって、まだ何も手つかず──」

〈いいから言われたとおりにしろ! 俺たちは余計なことに首を突っ込みすぎたんだ!〉

  警告まがいのセロンの叫び声に、思わず身を竦めてしまう。

  嫌な予感がするのはマリアも薄々気づいていた。セロンの言うとおり、急いでここから離
 れようとするが、後ずさりした拍子に卓上の上にあったフラスコを誤って落としてしまった。

  硝子の割れる澄んだ音が床に響き──

「だれかそこにいるのか?」

「──っ!」

  鉄扉の外側から聞こえた問いかけに、声にならない悲鳴をあげた。コツコツと近づいてく
 る足音の主は、間違いなくこの地下室を目指していた。

〈馬鹿っ。突っ立ってないで隠れろ!〉

  硬直していたマリアを叱咤するようにセロンが叫ぶ。

  彼女は自分の置かれている状況を思い出し慌てふためく。隠れる場所は? 足音の主はど
 こまで来てる? 残された時間は!? 窮地に立たされ思考が混乱する。

  頭を抱えながら焦るマリアは、数多の動物が収められた檻と檻の間にある僅かに隙間を発
 見し、急いでそこへ身を放る。

  鉄扉が重苦しい音をたてながら開いたのは、ほぼ同時だった。

「……だれかいるのか?」

  棘を含んだ問いかけに、むろんマリアは答えるはずがない。息を殺しながら檻と檻の間に
 ある窮屈な隙間に身を隠し、訪問者が地下室から出て行くのを待つ。

  だがその期待は、白墨が床を打つ音のせいで、見事に打ち壊されてしまった。

「だれだ!?」

  小さいながらも、はっきりと聞こえた物音に訪問者が詰問じみた声を上げる。

(ななな、なんでこんな時に!?)

  檻と檻の間隙にほぼ強引に身を収めたため、白墨がジャケットのポケットからこぼれ落ち
 てしまったのだろう。ボタンを留めなかった自分の過失に嘆きたくなった。

  ゆっくりと近づいてくる足音……両者の距離はどんどん狭まり……絶体絶命のピンチに、
 もう駄目だと両目を強く瞑り……

「……逃げ出した蛇か」

  マリアの足元をすり抜け、檻の間隙から出て行く一匹の蛇。訪問者がそれを拾い上げると、
 マリアを背にして、卓上の上で小さな入れ物にその蛇を収めた。

  彼女の存在に気づいた様子もなく、訪問者は再び鉄扉の方へと向かう。扉の閉まる音が響
 き、鍵をかける音がそれに連ねる。

  それを確かめたマリアは、大きく安堵の息を吐いた。





     *     *     *     *     *





  たっぷりと数分置いてから、マリアは間隙から出た。

  床にぺたんと腰が抜けたように足元から崩れ落ちる。あの時、蛇が檻と檻の間隙から出て
 行かなければ、自分は間違いなく見つかっていたはずだ。

〈お前……よく見つからなかったよな〉

「わたしもそう思う……」

〈とりあえずここから出るぞ。これ以上の長居は危険だ〉

「そうね」

  動悸していた心臓の鼓動は落ち着き払っている。緊張の萎えた体を弱々しく動かし、鉄扉
 の方へと向かった。

  それにしても、さきほどの訪問者は昨日の昼に屋敷の前で見た、紫紺のローブに身を包ん
 でいた背の低い男性ではないだろうか? と、歩きつつマリアは考え込む。

  扉の施錠をはずし、石畳の通路へと足を出そうとする。

  しかし突如、ぬっと眼前の床にできた影がマリアの足を止めた。足元にできた巨大な影は、
 優にマリアの背丈を超えている。

  ──では一体なんの? と彼女は背後を振り向く。

  目の前に二メートル近い高さをもつ巨大な物体が佇んでいた。

「あ……あ……」

  裸電球を背にして立つその姿は余りにも大きい。巨大な影の塊がその場に佇み、ジッとマ
 リアを睥睨しているかのようだ。

  ほとんどがシルエットとしてしか映らないが、鷲の骨格とくちばしを彷彿とさせる頭部だ
 けが目についた。これほど巨大な鳥類などいただろうか?

  その首のような部分が、鎌首をもたげるようにして曲がるのと同時にセロンの声が響いた。

〈マリア伏せろッ!〉

  その言葉がなかったら、自分の首から上の部分は無かったと思う。身を伏せた自分の上を
 何かが勢いよく通過したのだ。横薙ぎに走った首は石壁を砕くほどの威力だった。

「────」

  一瞬で血が引くのを感じた。

  くちばしのような部分が壁に突き刺さっており、抜くのに手間取っている巨大な存在を直
 視して「逃げだすのはいましかない!」と、マリアは恐怖に震える体を奮い立たせるように
 して行動に移った。

  立ち上がるのと同時に、急いで鉄扉をくぐり抜ける。

  ドアを完全に閉めて、石畳の通路を駆けた。この状況で慎重などとは言ってられない。も
 と来た道を馬車馬の如く疾走し、急いで屋敷の外へ向かって走り抜けた。








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