〈6〉



  昼食を終え、マリアとエルミナはヒューゴの住んでいた山奥を目指し、山道を歩いていた。

  陽光を遮るようにして、頭上で幾重にも重なる葉と梢の天蓋。夏の日射しを遮断してくれ
 るという意味では、非常にありがたいものだ。

「それにしても驚いた。マリアがメトロポリス出身だなんて。タニス大陸でも最大の国家じゃない。
私たちとは違う雰囲気というか空気を漂わせていたと思ってたけど、これで納得がいったわ」

「そんな、買いかぶりすぎよ。まあ、確かにメトロポリスは都会ってイメージは強いかもしれな
いけどね。けど物件は高いし、ごちゃごちゃしてるし、空気も悪いの三重苦。それでも移住した
いって望む人は多いけど。なんだったら、メトロポリスへ遊びにこない? 子供たちも連れて」

「いいの?」

「もちろん」

  マリアはエルミナとの世間話に華が咲いていた。

  足元にうねるのは大樹の根。苔や下生えが随所に生えており、草いきれの混じったあま苦
 しいながらも淀みのない新鮮な空気は、マリアの住むメトロポリスでは味わえないものだ。

  吸うと同時に細胞のひとつひとつを活性化させるようだった。

  だが──

「気のせいかしら……最近、歩きっぱなしな気がするのよね」

  やはりというべきか、勾配のある山道を歩く距離に比例して疲労は蓄積していた。マリア
 は呼気を荒げつつ、鈍足ながらも山行していく。

  勾配そのものは緩いのだが、傾斜の有る無しでは差がつく。エルミナはというと、慣れて
 いるためかマリアに付かず離れずの距離を保ちながら先を進んでいた。

〈メトロポリスなら普段、路面電車やバスを使ってたからな。都会とは勝手が違うんだろ、勝
手が。それ以外にもお前の体力が無いのも問題としてあげられるぞ。巻き添えになってる俺の
ことも考えろ〉

  セロンの中傷。彼も同時に疲弊しているからこそ、マリアの不甲斐なさを配慮した台詞を
 口にするのだろう。

  もっとも、それが痛烈な言葉でなければ文句もないのだが……。

「ねえ、セロン。こっちは坂道を懸命に登り歩きしてるのに労いの言葉もないわけ?」

  睨め付ける視線を虚空へ寄こし、セロンの反応を待つ。

〈ガンバレーガンバレー、マリアー。ファイトダーファイトダー、マリアー。……ほれ、お望
みどおり応援してやっからさっさと歩け〉

「…………」

  あからさまに人を揶揄にする物言いに、マリアは柳眉を逆立てる。

  どうしてこの男は素直じゃないのか? と訝しみながら、新たな報復手段が脳裏で浮か
 び上がったのは同時だった。

「ねえー、エルミナー! 今日の夕食は泊めてくれたお礼も兼ねてわたしが作ってもいいー?」

「え、いいけど……何を作るの?」

  マリアは邪気の感じられない晴れやかな笑みを顔に湛え平然と言ってのけた。

「チーズフォンデュ」

〈すいません調子に乗りすぎました!〉

  セロンの電光石火を彷彿とさせる謝罪が耳朶に木霊する。

  その誠意の表れにマリア納得したように、「分かればいいのよ、分かれば」と、大らかに
 頷いた。次いで「このわたしに歯向かうなんて十年早いのよ」、と勝ち気に言う。

  だが、セロンは納得のいかないような憮然とした声音で呟く。

〈なあ、その嫌みったらしい考えは何処から沸いてくるんだ? あれか? 遺伝か? その嗜
虐趣味は先生の血を引いてるせいなのか?〉

「あんな人と一緒にしないで」

  ぴしゃりと払い除けるように一蹴する。あんな父親と同類にするとは何事か。やはり処罰
 は続行するべきかと、マリアは顎に手を当て真剣に考え始めた。

「マリア、大丈夫? 疲れたら言ってね」

「今のところ平気よ。それより散歩の途中、村外れの屋敷に行ったんだけど凄かったわ」

「あそこに行ったの?」

  エルミナが目を剥いて驚いていた。

  その頃には鬱蒼と生い茂る樹木の数が目に見えて少なくなってきた。変わりに視界の右か
 ら左へとかけて、傾斜の激しい崖がその存在を顕わにしていた。

  右上には山頂が。左下には木々を挟んで村とその外れにある曰く付きの屋敷が見える。

  崖の真ん中に舗装された山道があり、これから二人が踏破しようとしている場所だ。

  エルミナ曰く、ここがヒューゴの居座っていた山奥への近道らしい。平坦な道に出たため、
 二人は並んで先を進んだ。

「ええ、行ったわ。確かに少し変わったところは在ったけど。まあ、動物が沢山いたことくら
いかしら。あそこの主って動物愛好家か何かかしらね」

  散歩の時の出来事を回想して、ありのままを伝えた。しかしエルミナの反応はなぜか芳し
 いものではなかった。

「今度からあの屋敷に近づいちゃだめ……特に夜中は」

「どうして?」

「最近、夜中になるとパターデルのあちこちで村人が何者かに襲われる事件が相次いでるの。
それも被害にあった人たちの証言だと人間じゃなくて、『化け物に襲われた』って口々に同じ
事を言ってる。だから、マリアも夜中は絶対に出歩いちゃだめよ」

  エルミナの真摯な口調に、疲弊しかけていた背筋が自然と伸びる。

  化け物に襲われた──と言うからには、余程のことなのだろうか? 性分からかマリアは、
 どれほどの被害を被っているのか訊くことにした。

「そんなに酷いの?」

「村の集会でも何度か話題に出されてる。三日前にも怪我人が出て……。あまりいい噂は聞か
ない」

  肩を落とし、憂いに帯びた横顔がひどく痛々しい。とくに孤児院を切り盛りしているエル
 ミナは、子供たちの事で頭がいっぱいだろう。少年期の彼らは、とくに活発な時期だから。

「だからね、絶対に近づいちゃだめ」

「……分かった。エルミナがそこまで言うなら、もう寄りついたりしないわ」

〈すっげー、胡散臭いな。行く気まんまんだろ?〉

  セロンの介入による小言は、図星とまではいかないにしてもハズレではなかった。

  大量に運び込まれた多種多様の動物。紫紺のローブに身を包んだ怪しげな使用人。気に
 ならないわけがない。

  そして夜中に起きる襲撃事件……

(……あれ?)

  そう思案していたとき、何やら引っかかりを感じた。茫漠とした、それでいて掴み所のな
 い感覚。今の会話で何か噛み合わないところがあったような……

〈おい、マリア! ぶつかるぞ!〉

「え?」

  考え込んでいたマリアは、セロンの声に反応して何事かと顔を上げる。

  ゴチン、というやけに生々しい音と共に顔全体に激痛が走ったのはその時だ。

「──ッ! いった〜いッ!」

〈ぬおおぉ〜ッ!〉

  おもに鼻先に走った痛みに、マリアは膝を折りその場でうずくまった。

  一体全体なにが起こったのか、と涙目を上に持ち上げると、そこには巨大な岩の塊が顕
 在していた。

「な、なによこれ……?」

〈さっきから俺も彼女も「止まれ止まれ」って叫んでたのに聞いてなかったのかよ?〉

「しょうがないじゃない。考え事してたんだから」

「マリア、だいじょうぶ!?」

  駆け寄ってきたエルミナに救護され、その巨大な岩から二、三歩下がる。

  山道がその大きな岩に塞がれていた。土砂も混じっているから落石か何かだろうか?

「一週間前に大雨が降ったのよ。たぶん、その時に崖崩れが起きたんだと思う。この辺の地
層はもともと脆かったから……」

「これじゃあ先に行けないわね。他の道はある?」

「あるにはあるけど、遠回りしないといけない。それだと日没までには家に帰れないと思う」

  ごめんねマリア、と答えたエルミナの顔はほんとうに申し訳なさそうな様相を見せていた。

  むしろ悪いのは案内を頼んだ自分なのだから、と謝り返そうとしたマリアは、そこである考
 えに至った。

  マリアの唇がニヤリと妖艶に笑みを作る。道が阻まれているのなら、その障害物を排除し、、、、、、、、、
 てしまえばいいだけだ、、、、、、、、、、

〈あ〜、マリア? まさかと思うが良からぬこと考えてるんじゃないだろうな?〉

「失礼ね。手っ取り早い方法を思いついただけよ。遠回りしてる暇が無いんだったら、この岩
を壊しちゃえばいいんじゃない──錬金術で」

〈メーデー、メーデーッ! 誰かこの無謀者を止めてくれ──ッ!〉

「叫んだって無駄よセロン。わたし以外、あんたの声は誰にも聞こえないんだから」

  この時に限り、邪魔者の叫び声が自分にしか聞こえないのは有り難いと思えた。

「エルミナ、少し下がってくれる? この岩を破壊しちゃうから」

「破壊って……どうやって」

「錬金術を使って、ね」

  ウインクを一つ投げて、早速マリアは作業に取りかかる。とりあえず土砂や中堅以下の岩
 は後回しにしておこう。この大岩さえ壊してしまえば、道は切り開けるはずだ。

「さて、どう壊しますか」

〈……どうなってもしらないからな、俺は〉

  背丈をゆうに超える岩の塊。まるでこちら側と向こう側を断絶する壁のようだ。

  マリアはジャケットに取り付けられた胸ポケットの中から、十センチにも満たない細長い
 白い物体を取り出す。出てきたのは、よく学校でお目にかかることができる白墨チョークだ。

(直接、岩に描けたら楽なんだけど……)

  と思案し、白墨を手の中で弄びながら巨大な岩壁を見る。

  まるで肉体労働者の筋骨隆々とした体を彷彿とさせるゴツゴツとした岩肌だ。これに直接
 描き込むのは難易度が高い。

「とすると、地面を削って落とすしかないか……」

  傾斜を下った先には村があるが、幸い距離にかなりの余裕があるため、この岩が村の方ま
 で転がり落ちていくということはまず無いだろう。

  その結論に達すると、マリアは大岩の真下、やや村の方に当たる左側に屈みこみ、幾ばく
 か積もっていた土砂をさっと払い、平坦になった地面に"錬成陣"を描き出す。

〈なあ、本当に大丈夫か?〉

「平気よ。これでも鍛錬は積んでるんだから」

〈積んでるって……、いま使おうとしてるのは『分離』の錬金術でお前の専門外だろ? 本当
に平気か?〉

「うっさいわね。少し黙ってて」

  セロンは取り付く島もないとでも悟ったのか、それ以上語ることは無かった。その間もマ
 リアは黙々と作業に徹する。

  錬成陣は錬金術を発動させる錬成法でもっともポピュラーなものだ。基本は円と五芒星を
 描き、その周囲にゲマトリア語を追記する。

  ゲマトリア語というのは古代から伝わる自然言語の一つで、錬金術でもっとも重宝されて
 いるものだ。

  錬成陣を用いるときは、錬金術が発動する時間、効果、過程など諸々の設定を可能とする
 特殊な言語である。

「ここがこうで……ここが……こうよね」

  錬金術という科学がタニス大陸に伝わったのは十二世紀初頭。今から八百年も前のことだ。

  その当時、タニス大陸では錬金術という科学は金属変成のことを言っていた。

  卑金属から貴金属を生み出すという、科学以前に法則を完全に無視した現象を当時の科
 学者は本気で実行しようとしていたのだ。

  しかし挫折。

  所詮、錬金術も科学だということが度重なる実験のうちに証明されてしまった。何代にも
 渡る科学者の飽くなき未知の領域への探求は、けっきょく徒労に終わったかのように見えた。

  しかし──それは徒労では終わらなかった。

  金属変成は不可能だった。だが、その過程で自然科学を用いた、科学と魔術の境にあると
 言ってもいい"疑似科学"が誕生したのだった。

  炎や水や風などに当たる火事や洪水、嵐などの自然現象を、自らの手で生み出し、それを
 コントロールすることを可能にしたのだ。

  童話やファンタジーの小説に出てくる魔法などは、この錬金術が土台になっているとマリ
 アはセロンに聞いたことがあるが、それはあながちハズレではないかもしれない。

  ようは先入観の違いなのだ。

「…………」

  マリアの手が、ゲマトリア語を紡いでいた途中で停止していた。

  白墨の先が中空で止まり、綴っていたゲマトリア語が中途半端な位置で途切れている。

  錬成陣はこのゲマトリア語を書ききらないと発動しないのだ。にも拘わらずマリアは、続きを
 書こうとしなかった。

(やば……ここから先なんだったけ?)

  書かなかったわけではなく、書けなかったのだ。頓挫の理由はど忘れだった。

「確か、こうだった気が……」

〈おい、そこ違う〉

  おぼろな記憶を頼りに、ゲマトリア語を記入していたところをセロンに注意された。歯噛
 みしながら指摘された箇所を手で消し再び追記するが、

〈駄目だ駄目だ、間違ってる。外側に綴ったゲマトリア語の……それじゃない、隣の文字だ。
綴りも違う〉

  と、同じように注意された。

〈だー! なに初歩的なミスしてんだ。上と下が逆だ逆!〉

  それから何度も指摘、修正、指摘、修正といった悪循環が続く。

  ムカムカと腹が立ってきた。こちらは必死になって錬成陣を組み上げているのに、セロン
 はただ傍観を決め込んでいるだけだ。そこまで言われる筋合いはない。

「あー、もう! うるさーい!!」

  セロンの横合いからの声に嫌気が差し、マリアは即急に錬成陣を仕上げようと、書き殴り
 のような速度でゲマトリア語を綴る。

  そして円の外縁をゲマトリア語が一周したとき──白い閃光が走った。

  爆発音が響いたのはまさにその時だった。





  ぶすぶすと燻る何かが焦げたような臭気が鼻をさす。

  視界には雲一つない青空。

  自分はなぜ仰向けになっているのだろうか? と少し考え、ゆっくりと身体を起こした。
 周囲に立ちこめる埃と煙のせいか、自然と咳が出る。体や服に付着していた煤を払う。

  しばらくすると視界が明瞭になってきた。

  そしてマリアは目にした──眼前にある凄惨な光景を。

「…………」

  空いた口が塞がらなかった。

  先ほどまで山道を途絶していた大岩はその場にはなかった。

  そこに在ったのは、見るも無残に散った大岩の欠片と半円の形に穿たれた穴、そしてその
 穴から烽火のように天へと上がる黒煙のみだ。

  道を封鎖していた大岩と土砂は綺麗に一掃されてはいたが、無論マリアが望んでいた結果
 とは大きく懸け離れたものだった。

〈ア、アホかー! 人の話を最後まで聞かずに、専門外の錬成陣を作り上げるなって前々から
言ってるだろ!〉

  セロンの叫び声が最大音量で鳴り響く。それに反発する気力も資格も、今のマリアには到
 底なかった。言うまでもなく、錬金術の失敗だ。

「い、いやぁ〜、うまくいくかな〜って思ったり──」

〈いくわけねーだろー! それでうまくいったら錬金術師なんかいらねえ! っていうか、何
をどうしたら爆発なんてするんだよ! バッカじゃねえのお前!?〉

  こればかりは自分の落ち度であった。萎縮するマリアの耳に、セロンの説教ががなる。し
 ばらくの間それが続くと思っていたのだが、唐突にそれが途切れた。

〈怪我は……無いみたいだな。おい、彼女は?〉

「あ!」

  セロンに言われてはっと気づく。すかさず後ろを振り返る。そこには地面に倒れ込むエル
 ミナの姿があった。マリアはすぐさま立ち上がり、彼女の下へ駆け寄る。

「エルミナ、大丈夫!?」

「うん……かすり傷だから平気」

  かすり傷と言明する割には、怪我をしている腕の出血量が多い。エルミナの乾いた笑みが、
 その傷の深さを物語っているようにも見えた。

〈今度はお前の得意分野だろ。ちゃちゃっと治してやれ〉

「言われなくたってそうするつもりよ」

  あいにく止血する道具を持ち合わせていない。しかし、マリアとセロンに危機感を感じて
 いる様子は無かった。マリアは白墨を再び取りだし、地面に円と五芒星を描く。

  円と五芒星を描き終え、ゲマトリア語の執筆に移る。

  先刻の遅筆が嘘のような早さだ。比べものにならないほどスムーズかつ円滑に、ゲマトリア語
 を並べていく。しばらくすると、書き終えたのかマリアの筆が止まった。

  錬成陣が完成したのだ。

「エルミナ、この円の中に入って」

「でも……」

「大丈夫、次は失敗したりしないわ。今度のはわたしの専門分野だから」

  先ほどの錬金術の被害を被っただけに、エルミナは怯えている。だが、「だまされたと思
 って」というマリアの懇願に後押しされ、恐る恐るといった動作で円の中へと身を寄こした。

  エルミナが錬成陣のなかに完全に身を収めたとき、それは起こった。

  彼女が錬成陣に足を踏み入れた瞬間、ゲマトリア語によって錬成するイメージを円が自動
 的に読み取り構築。続いて五芒星がその円とゲマトリア語に必要なエネルギーを増幅蓄積し
 たのち──錬金術は発動した。

「すごい……」

  エルミナの口から驚嘆の声が上がった。彼女が腰を下ろしている地面の錬成陣から淡い仄
 かな光が生じたのだ。

  白光が粒状に四散しながら自分を包み込むその光景に、エルミナは強い感銘を受けたかの
 ように釘付けになる。

  錬成陣からは白光だけではなく、温かみのある何かが彼女を優しく覆っていた。

  その仄かな光は次第に消え去っていき──

「うそ……。傷口が消えてる?」

  右腕の出血が止まっていた。それだけではなく擦過傷の痕跡も無くなっていたのだ。

「ふぅ……。これで一安心」

「すごいわマリア! これも錬金術なの?」

「うん、多分そうだと思う」

「……多分?」

「実を言うとね、わたしも詳しくは知らないのよ。一応、わたしは『治癒』の錬金術って呼ん
でるんだけど、他の錬金術とは違う原理らしくて……」

  錬金術は魔法のように不思議な現象を無尽蔵に起こせるわけではない。

  あくまでも科学であり、エネルギー保存の法則、因果法則、質量保存の法則など幾つかの
 法則に則った術なのだ。

  もっと分かりやすく解釈するのなら、炎を出したければ火種と酸素が必要。水なら水素と
 酸素等々、生み出そうとする現象に必要な"媒体"を用意しなければ発動しないのである。

  万能なイメージがあるように思えるが実際はそうでもないのだ。


  "無いものから在るものを作り出すことはできない"


  これは錬金術の基本的な原理であり、絶対に破ることのできないメカニズム。錬金術と魔
 法の境界線は、まさにここなのだ。

  しかし、マリアが使用した『治癒』という錬金術は他のものとは一線を画していた。

  端的に言うなら通常の錬金術で扱う物質とは違う、異なる物質を基盤にして錬成を行って
 いる、とセロンは言う。

  隣のシナ大陸の錬金術に近いとも口にしていたが、信憑性は定かではないそうだ。

「さて、と。とりあえず道も空けたことだし、案内の続きしてくれる?」

「え、ええ……。ここまで来ればもうすぐよ」

  マリアとエルミナは服に付いた煤を払い落とす。体に異常が無いかを確かめると、山奥に
 向けて再び歩き出した。





     *     *     *     *     *





  再び歩き始めて十分と経たずに、その場所へと訪れることができた。

  鬱蒼と生い茂った雑木林に取り囲まれた草むらの空間。そのなかにぽつねんと、小屋が一
 つ静かに鎮座していた。

「ここがそう。ヒューゴおじさんが住居としてつかってた小屋よ」

「ここが、あの人の住んでた家……」

  組み合わされて作られたと分かる丸太の壁は、所々に虫喰いの後や腐って朽ちている箇所
 が残っており、数年間だれの目にも触れずに風化していったということが、少し見ただけで
 理解できた。

(……ついにここまで来たんだ)

  深呼吸を一つする。心臓の鼓動が意識とは裏腹に躍動していた。

  セロンと共に探し求めた物──その有力な情報がこの小屋の中にあると思うと気が気では
 ない。張り詰める緊張感が体を震わせた。

  マリアはゆっくりとした足取りで、小屋へと近づいていく。丸太の壁に嵌められたガラス窓に
 苔状の物体が張り付いている。とてもじゃないが、そこから内部を視認するのは不可能だ。

  小屋の戸にある蝶つがいに触れて回す。木々が擦れてでる独特の音が、耳に木霊する。

  戸を開けると同時に、長年蓄積してきた塵埃がむわっと、覗こうとしていたマリアへ向かって
 押し寄せてきた。

「ゲホ……ゲホ……っ! 凄い埃!」

〈ひでえ! こりゃあ、相当ながいあいだ放置されてたな〉

  涙ぐんだ目を擦りながら戸を全開にした。

  外へと流れ出してくる塵芥から回避するように戸の後ろへ避難していたマリアは、落ち着
 いたのを見計らって小屋の内部へと入る。

  まるで未開の地へと足を踏み入れる探検者さながらにマリアは切迫していた。

  しかし息苦しい緊張感が一瞬で弛緩するのに、そう時間は掛からなかった。

「なにも……ない?」

〈…………〉

  小屋の中には一組の机と椅子がある。

  だが、それ以外には何一つ物らしき物が置いていなかったのだ。もぬけの殻も同然の小屋
 をマリアはただ呆然と見つめるほか無かった。

「村の地主がここに合った物を引き取って処分したのよ」

  背後を振り返ると、戸の前で佇むエルミナの姿があった。

「引き取って処分したって……あの人の私物を勝手に持ち出したってこと?」

「とんでもない」

  かぶりを振って、エルミナは強く否定する。

「彼は──アンディは、そんな身勝手な行動を起こしたりしない。自分の所有している土地
を村人達に安く貸してあげてるし、ヒューゴおじさんがいなくなったこの小屋だって、誰かが
移転してきた場合に備えて片付けただけよ」

  力のこもったエルミナの説明に、思わず面食らってしまう。朝に見た温厚なエルミナの顔
 を忘れてしまいそうなほど、今の彼女は真剣そのものだった。

  それにエルミナが口にしたアンディとはいったい誰のことなのだろうか? 先ほどの説明
 から分かったことは、この辺一体の地主だということくらいだ。

「アンディっていう人、エルミナの知り合いなの?」

「……彼とは幼なじみなの。彼の両親が三年前に死んで、今ではアンディが亡き両親の後を継
いでこの辺一体の地主に。だから、その辺の諸事情は詳しくて。村外れの屋敷はアンディの住
居なのよ」

(なるほど。それで今朝の食卓であんなことを言ったのね……)

  朝食を取っていたときに口にしていたエルミナの意味深な台詞が、ここに来て理解できた。

  最初から小屋に何もないことを話せば、自ずとヒューゴの私物がどこにあるのかという質
 問に行き着く。

  あの怪しい屋敷へ話の内容が移るとしたら尚更だ。その辺の私情に差し挟まれたくないの
 だろう。

「……ごめんなさい、マリア」

  項垂れるエルミナに、かける言葉が見つからなかった。

  彼女を責める権利を自分が持っているはずもない。落ち度は自分にもあったのだ。十年近
 くもほったらかしにしていれば、整理整頓されるのも当然である。訪ねるのが遅すぎたのだ。

  自分はもう少しここに留まるからと言い、エルミナに先に帰るように促す。最後まで申し
 訳なさそうに謝る彼女にかしこまらなくていいから、と口にして笑ってみせた。

  最も、それは形だけの笑みではあったが……。





〈骨折り損のくたびれもうけ……か〉

  エルミナの姿が見えなくなると、セロンが一人ごちた。彼としても肩を落とす結果に残念
 がっているようだ。口にした台詞が暗にそのことを仄めかしている。

〈それで、これからどうするマリア? このままメトロポリスに帰るか? 俺はそれでもいい
けどな〉

「一つだけ提案があるわ」

「お前から振ってくる話はいいことが全くない……が、とりあえず聞いてやるよ」

  このままでは引き下がれない。

  何も手に入らずにメトロポリスへ帰るなんて真っ平ごめんだ。マリアは小屋の側にあった
 切り株に腰を下ろし、傍から見れば三文芝居のような会話をひっそりと始めた。








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