百年以上前に起こった世界大戦の終了を境に、科学の本格的な飛躍が始まった。

  科学技術は新たな知を生み出すと共に、国民生活・社会・経済の発展と進歩を促したのだ。

  とりわけ、タニス大陸の躍進は凄いものだった。戦後の荒廃から技術革新によって、驚異
 的な速度での復興と高度経済が成されたのだ。

  十八世紀の終末に石炭や蒸気機関を動力源とする船や機関車が開発。その数十年後には
 石油、モーター等などの新しい原動機を用いた自動車が造られ、交通の分野で飛躍的な進化
 を遂げた。

  科学の発展はそれだけに止まらず、産業革命を促進させる。手作業が機械作業に代わり、
 今まで不可能だった大量生産、大量消費の社会を生み出していた。

  夢は現実に──。

  一般民衆が望んでいた未来が、科学の進歩によって舞い降りたのだ。

  そしてヘルメス暦1924年の昨今──過去の忌まわしき大戦も何のその。科学は人々の生
 活を確実に豊かにしていった。










  だが……










  人目の届かない裏の社会では、通常の科学とは違う"別体系の科学"が発展を続けていた。

  通常の科学が世間に栄光を栄誉を求めるのに対し、その"別体系の科学"はあろう事か、世
 間から何の名誉も名声も求めることはなかった。

  "別体系の科学"に携わる者は、その科学を世間に披露することを許されず、人目を憚りな
 がら研究を、或いは探求をしなければならない。

  それが、"別体系の科学"に関わる唯一絶対の条件。決して破ってはいけない掟なのだ。

  その禁断とも呼べる科学の名を──
















  ──────《錬金術》という。

















     【第2章 錬金術という名の科学】





     〈4〉



「錬金……術?」

  その単語を口にしたエルミナは、見るからに当惑した様子だった。

  当然だろう。いきなり《錬金術》などという単語を理解できる人間はそうそういない。マ
 リア自身も未だ錬金術の全てを解っているというわけではないのだ。

  マリアは自分が初めて錬金術を見たときのイメージをそのまま伝えることにした。

「分かりやすく言うと……魔法みたいなものかな」

「「「「魔法──ッ!!」」」」

  大広間に歓声が沸いた。

  エルミナに解りやすくと、簡潔に説明するつもりだったのだが、なぜか子供たちが反応し
 てしまったのだ。予想外の出来事である。

  先ほどまで食卓に並べられたご飯に群がっていた子供たちは、こぞってマリアに寄り添い
 目をキラキラと輝かせていた。

  錬金術という言葉は、少年期の彼らの好奇心をくすぐるだけの威力を持ちあわせていたよ
 うだ。

「じゃ、じゃあ火を出して。火!」
「ねえねえ、このコップに水ちょーだい!」
「あっ、あっ、あたしにも魔法教えて!」
「そんなことよりも僕を宙に浮かばせてよ!」

  言いたい放題だった。

  矢継ぎ早に繰り出される子供たちの要求を前に、下手な事を言ってしまった、とマリアは
 心底後悔した。思わず席を立ち、大広間の隅へと後退る。

  しかし、好奇心旺盛な年頃の子供たちを前にそれは無駄なことだった。朝食などすでに眼
 中に無いと言わんばかりに、子供たちが狼狽えるマリアへと近づいていく。

  メリィも興味があるような様子を見せるが、おろおろするばかりで行動には移らなかった。

〈あーあー。お前の下手くそな説明で誤解を招いちまっただろ。いいか? 俺の言った台詞を
復唱しろ。それで万事解決だ〉

  セロンの声がこれほど頼もしいと感じたことはなかった。

  てっきり、ひるむ自分をあざ笑うとばかり思っていたのだが、まさか助けてくれるとは……。
 内心、感謝しつつ彼の紡ぐ言葉を待つ。

〈錬金術とは神秘や奇跡のような自然現象を真似て再現させる科学だ。基本的にはこの世にあ
る物質を変換させる機構。近代科学のような明瞭性の高いものではなく、曖昧性の高いもので
あって──〉

「そんな回りクドい説明で子供たちに理解できるわけないでしょ……」

  セロンに頼った自分が馬鹿だった、とマリアは膝を折り、その場にうなだれた。

  物事に知悉している人間というのは何でもかんでも説明口調になってしまう傾向がある
 と、マリアなりの持論がある。セロンがそのいい例だ。

(ああ……セロンの馬鹿)

  マリアは嘆息をつき、子供たちに愛想笑いを浮かべながら苦し紛れに言った。

「あ、あの……そういうのは無理なのよ。ゴメンね」

「「〈「「つまんな──い!!」」〉」」

  子供たちの落胆した声がマリアを悲観的にさせていたが──同時に「いま、子供たち意外の
 声が紛れ込んでなかった?」という猜疑心が芽生えていた。

  セロンめ、とマリアは小さく愚痴る。

「それよりマリア。ヒューゴおじさんは元気にしてる?」

  エルミナが朗らかな笑みを湛えて訊いてきた。

  セロンへの疑いに苛まれる思考をいったん振り払い、その問いに対する答えを口にした。

「えーと……亡くなったのよ。四年くらい前に」

「あ、ごめんなさい……」

「気にしなくていいわ。もう過ぎたことだし」

  そう、ヒューゴ・ナーディムは四年以上前に亡くなった。

  娘を捨て、錬金術という科学に没頭するあまりあの男は悲運な目にあって死んだのだ。

  だからこそ、セロンに直接そのことを聞かされたときも思いのほか悲しみはなかった。

  それ以上に「そっか……死んだんだ」と軽く納得すらしていた。

  自業自得だ、とマリアは今でも思う。

  マリアにとってヒューゴ・ナーディムという人物はその程度の存在なのだ。

「ねえ、エルミナ。あなた、あの人が山奥に住んでいたって言ったわよね? 何処にあるか分
かるかしら?」

  重くなった場の雰囲気を変えるようにマリアが言った。

「それなら知ってる。ヒューゴおじさんの住んでた場所まで少し距離はあるけど、一時間も
すれば着くはずよ。けど、そこで何をするつもりなの?」

「もしかしたらわたし達……あ、いや、わたしの"探し物"に関する情報が手にはいるかと思っ
てね。浅はかな希望だけど」

「探し物?」

  エルミナが小首を傾げる。子供たちはというと、マリアが魔法のような現象を起こせない
 と悟ったからか、再び朝食という名の戦場に向かっていた。子供の気変わりの速さは凄い。

「ん〜、なんて言えばいいのかしら。錬金術に関するもので、わたしも余り詳しくはしらない
のよ。」

〈超馬鹿だからな〉

「黙れ」

  セロンの割り込みを一言で断絶し、エルミナとの会話を続ける。

「まあ、この村に着た理由はあの人の残した私物が目当て。だから、その場所までの道順を教
えてほしいんだけど」

「それなら私がそこまで案内するわ。山林の中は入り組んでて迷子になったら大変よ。マリア
が登ろうとしてる山林は、私が昔遊び場として慣れ親しんでる所だから」

「案内してくれるのは助かるけど。孤児院のことで色々と忙しいんじゃない?」

  先ほどから薄々と感じていたのだが、エルミナ以外大人らしき者が存在しない。彼女が院
 長の役割も担っていたのだ。

「平気よ、この子たちはこれから学校だから。ただ、お昼過ぎからでもいいかしら? 家事と
かで朝は忙しいの」

「ええ、構わないわ。それに家事ならわたしも手伝えるし。泊めてもらったお礼もしないとね」

  微笑むエルミナのつられてマリアも笑みを浮かべる。

  マリアは心の隅でエルミナの人柄の良さに敬服していた。

  温厚な性格ながらも、孤児院を一人で切り盛りする心の強さ。気を許せる人間が片手で
 数えるほどしかいない自分が、うち解けている状況にマリアは驚いていた。

「ただ一つだけ言っておきたいことがあるの」

「──え?」

  突如のことに、マリアは上擦った声を出した。

「これから行く場所にマリアが望むような結果は無いと思う」

  改めてエルミナの顔を見る。

  そこに、あの朗らかな表情はなかった。先ほどとは打って変わって真摯な態度で、こち
 らを見据えていたのだ。

  なぜ? と問おうとしたが、彼女の気迫に押され、マリアは質問することができなかった。
 聞かれたくないことでもあるのだろうか?

  それでも直接行けば解ることだ、とマリアは深く考えないようにした。








‖ トップページ ‖ 目次 ‖  ‖  ‖