「さっさと案内しろよ」

「……な、なぜ僕が」

  アンディの手首を背中側に捻るようにして、セロンは動きを封じていた。

  クリストファーとの一戦を終えたセロンは、再び屋敷へと上がり込んだ。大広間へと向か
 い、そこには顔面に靴跡を遺してのびているアンディの姿があった。

  とりあえずセロンは昏倒しているアンディを起こし、エルミナを解放するように指示を出した。

  そして今現在──地下室に彼女を軟禁しているようなので、彼にそこまで案内するように
 拘束しているといった具合だ。

「こんなことをして、ただですむと思っているのか……?」

  地下室に向かう途中、アンディが首を回してこちらを睨みつけてくる。

  靴跡と鼻血の入り混じった顔で睨みつけられても威圧を感じることはないが、窮鼠猫を噛
 むというから油断はできない。

  最も警戒心を怠っていないのは飽くまでマリアだけで、セロンはというと欠伸をこさえる
 始末。倦怠感まる出しだった。

「へぇ……。じゃあ、どうなるっていうんだ?」

「ここまでコケされたんだ。ただですむとは思う──」

死は確実、モリス サータ、時は不確実ホラ インサータ

  アンディが言葉を紡ぎ終える前に、セロンが錬成呪を唱える。そのままフリーの左手を思
 い切り壁に打ち付けた。

  壁の一部が流砂と化し、アイスクリームのように溶けて崩れ落ちていく。それを見たアン
 ディは、あんぐりと口を開けていた。

「とりあえず歩け」

「…………」

  有無を言わせない一方的な物言いに、アンディの顔は蒼白になっていた。そもそも乗り気
 じゃなかったセロンをここまで巻き込んでしまった事に問題があったのだ。

  セロンは興味のないことや、己の利益にならないことには必要以上に関与しようとしない。こ
 れ以上、難癖でもつけられたりしたら一般人のアンディとはいえ五体満足とはいかないだろう。

  「ほれ、さっさと案内しろよ」というセロンの言葉に、アンディは青白くなった顔を縦にカ
 クカクと動かした。












     【第6章 本音】





     〈13〉



  昨夜侵入した地下室の反対側に当たる棟の下に、その牢屋は設けられていた。

  空調が効いているとはいえ、地下にある独特の饐えた匂いと湿気が、その場を包み込ん
 でいた。

  牢屋の隅に体を寄せるエルミナがいた。こちらに視線を寄こすと、ボロボロになりながら
 拘束されているアンディに驚愕の様子を示す。

「鍵は?」

「……そこにある」

  セロンは壁に引っかけられるようにしてぶら下がっている鍵の束を見つけると、もう用無
 しといった風に、ぞんざいにアンディの拘束していた腕を離す。

  ただでさえ前のめりになっていた彼の顔が、したたかに地下室の石床を打った。

  その光景を気にする様子もなく、セロンは牢屋の方へと向かう。施錠を外しエルミナに手
 を差しだした。

「……あなたは?」

「それは後で説明する。それよりも、あんた──」

  エルミナを牢屋の外から出したセロンは、顔を押さえて呻くアンディを俯瞰する。

「彼女に感謝しろよ。大惨事になる前に止めてくれた恩人なんだからな」

「大、惨事……? きみは、何を言ってるんだ?」

  鼻頭をさすりながら、涙目でこちらを見やるアンディ。わけが分からない、といった姿勢
 をみせる彼に、セロンは険しい顔を作った。

「村人がキメラに襲われてたのを、あんたは知っていたか?」

「そ、それは、僕が錬金術に関わることを止めさせるための、エルミナの作り話……」

「彼女の言ったことは全て事実だ。現に村人たちはたびたび襲われていたらしい。俺たちもさ
っき殺されかけたんだからな」

「そんなの誰が信じると……」

「いい加減にしろよ。クリストファーって奴は《猛獣使い》という称号をもってた上位の錬金
術師。キメラ使いとして、その道では有名な人物なんだ。その様子からすると……どうやら、
それすらも教えられなかったようだな」

  セロンはアンディに事のあらましの説明を行った。

  村人が襲われていたこと。アンディが錬金術師だというのは誤解で、クリストファーが錬
 金術師として裏から手を回していたこと。そして、先ほどまでの激戦などを、余すことなく
 彼に伝える。

「きみを殺すつもりだった? そんなはずない。キメラ達は必要以上に人を襲わないとクリス
トファーが言っていたんだ。彼は、問題ない、と……」

  アンディはひどく狼狽した様相をみせる。今さらながら、セロンの体に付けられた無数の
 かすり傷を目の当たりにしたせいだろう。

  うなだれるアンディにエルミナが駆け寄る。彼の肩に腕を回しながら優しく介抱した。

「あんたはあの錬金術師に良いように利用されていただけだ。自分の身を守るための安全な場
所と、実験に必要な豊富な資金の両方を持つ人間……積もるところあんただ」

  憔悴するアンディの様子を気にも留めず、セロンは棘の含んだ言葉を投げかけた。

「彼女が言ってたが、あんた幼いときに両親が死んだんだよな。とすると、あんたが両親の死
で悲しんでいたところを付け入ったんだろう、きっと」

  騙されていたとはいえ、アンディにも落ち度はあった。クリストファーの話術に嵌り、ど
 こまで教えられたか解らないが錬金術の虜になっていたのだ。

  両親の遺産にものをいわせて、クリストファーの助力をしてしまった経緯もある。その資
 金で作られたキメラに村人が襲われた事実は決して消えない。

  しかし、足元で反省の色をのぞかせながら嗚咽するアンディを見て、セロンは針のむしろ
 に置かされたような、言い過ぎたようなばつの悪い様相を顔に忍ばせていた。

「ま、村人に死人が出なかっただけ良しとすべきだろ。村人たちに謝罪するか黙殺するかはあ
んた次第だけどな」

「済まなかった……。本当に済まなかった、エルミナ」

「いいよ、あなたのせいじゃないもの」

  眼下で寄り添う二人に視線をくれず、その瞳を虚空に漂わせながらセロンは髪を何となし
 に掻く。

〈結果オーライ……かしら?〉

「じゃねえの? ま、俺は端からどっちでもいいけどな」

  セロンは肩を竦めながら返答を寄こした。

  不意に、アンディを優しく抱擁していたエルミナの顔が上がった。彼女の視線はそのまま
 セロンの方へと向かい、 

「あの、あなたはいったい誰? 私のこと知っているような素振りだけど身に覚えが……」

「…………ちょいと待て」

  セロンは掌を彼女の目の前にかざして、空いたもう片っ方の手で革ジャケットの胸ポケッ
 トをまさぐり始めた。

  エルミナは冷静になりかけていたアンディと一緒に、奇異な視線をセロンへと寄こす。初
 対面の人間に対して、今更ながら警戒心を見せているようだ。

〈セロン、早く〉

「急かすな……お、あったあった」

  ポケットから取り出したのは白墨だ。

  セロンは膝を折って、手が届く高さまで腰を落とす。次いで、セロンは石畳の上に円と五
 芒星を描き、その周辺に奇怪な文字の羅列を──ゲマトリア語を並べ始めた。

  執筆はほどよくして終わり、白墨をもっていたセロンの手が止まった。再び立ち上がると、
 セロンは作り上げた錬成陣のなかへと足を踏み入れる。

  ──錬成陣を中心にして、白い霧のようなものが生じたのはその時だった。

「れ、錬金術……?」

「エルミナ、近づいちゃ駄目だ!」

  地下の一室に異常なまでの白い霧が生まれ、エルミナとアンディの顔に困惑の色がにじみ
 出た。セロンの佇む錬成陣から巻き起こる霧は、次第に彼を包み始めていたのだ。

  地下室の一角に、異様な光景が現れた。

  白い霧が、セロンの足元から腰の部分まで巻き起こり、それは更に増長して頭の頂点にま
 で到達した。気づいたときにはセロンの体の全てを覆い隠していた。

  しばらくすると、セロンを取り巻いていた霧が周囲に四散した。その中から現れた人物を見て、
 エルミナとアンディは、驚天動地の事件に偶然出くわしてしまった人のような様相を示した。

「マ……、マリア?」

  唖然と口を開いたエルミナの視線の先にセロンの姿はなかった。

  変わりに出現したのは、丈の短いワンピースと半袖のジャケットに身を包むマリアの姿だ
 った。





     *     *     *     *     *





  屋敷の外へ出ると、すでに陽は傾いていた。

  空が茜色に染まり、夕焼け雲が空を覆い尽くす。村の方では仕事を終えた農夫たちが、妻
 子の待つ家屋へと、労役した体を鼓舞させ帰路を辿っていた。

  夕餉の匂いと煙突から漂う煙を見つつ、マリアとエルミナは村の大通りを通過して、湖畔
 へと向かっていた。

「…………」

「…………」

  歩く両者の間には、幾らかの気まずい沈黙が漂っていた。

  地下室の一件の後、当惑するエルミナにこちらの経緯や、自分とセロンが入れ替わった現
 象などの説明が否応に必要になった。

  当たり障りのない程度にな、というセロンの承諾を得て、今は誰にも邪魔されない場所ま
 で足を運んでいた。

「よっこらせっと」

  湖畔に着くと、マリアは足元に生えている草むらに腰を下ろした。

「ほら、エルミナも」

「あ、……うん」

  マリアと同様にエルミナも腰を下ろす。マリアの隣に座った彼女はちらちらと、横流しに
 視線を送り、

「本当に、マリアなのよね?」

「そうよ──って、もしかしてまだ疑っている?」

「そ、そういうわけじゃないんだけど……」

  そうは言うものの、エルミナの顔には明らかに困惑の色が浮かんでいた。

  まあ気持ちは解らないでもない。目の前でいきなりセロンが消えて、自分が忽然と姿を現
 したのだから驚かない方が変だ。

「何から訊きたい?」

「……アンディと一緒に地下室に入ってきた男の子は誰なの?」

「彼の名前はセロン──セロン・ダレット。元はローゼンなんとかっていう組織の錬金術師だ
ったんだけどね。わたしを救ってくれた後、その組織を抜けちゃったのよ」

「マリアを……救った? それって、マリアが突然目の前に現れたことと何か関係してるの?」

  小首を傾げながらエルミナは問う。言い得て妙だった。

  マリアは視線を前へ向ける。視線の先にある湖畔は、茜色の陽を反射して情緒のある風景
 を醸し出していた。

  僅かに風が吹き、マリアは軽く髪を梳く。その行為を終えたと同時に、瞳を湖畔に向けた
 まま、マリアは話を切り出した。





「わたしね、本当は死んでるはずの人間なの」








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