《5》
『いいザマだな──我が息子よ』
八将神を交えた会合の時から、似ているとは思っていた……父である秋水に。
残虐であり冷酷。敵を一撃の下で止めを刺さずに、じっくりと甚振るように嗜虐的な行為。一族の間ではサディスティックとして有名でもある。が、現行最高の剣士。
慈悲というものが無い、そんな彼に酷く酷似していた、と。
しかし、それは飽くまでも血の引いた親子であって、『禁忌』に触れてしまったが故だと差して疑問さえ思わなかった。
だからこそいま思う。
──なぜ気付かなかったのだろうかと。
狂おしいまでの怒りが、切の裡を駆け巡る。
憎悪が、憤怒が、赫怒が──血中を凄まじい勢いで奔るような感覚。
兄への尊厳が目覚め、同時に父である秋水に対して遣り切れない思いが募っていた。
* * *
「本当に……あなた、なのか?」 切は蒼白と化した相貌を俯かせ、口元から血の泡を吹かせながら呟く。悲哀と怒火、さらには致命傷の刀傷で満身創痍な彼を刃──秋水は睥睨するような視線を送ってきた。
「何度も言わせるな。現実を見てまだ理解できぬか? いやはや、物覚えの悪い息子だと思っていたがここまでとは……」
「兄は……。兄は、どう、した?」
顔を僅かに上げ、泰然と立つ秋水に視線を送る。
その台詞に秋水は、酷く怪訝な様相を呈した。
「お前は何を聞いていたのだ、切? 私は言ったはずだ──」
次の瞬間、彼は何度見ても身の毛がよだつ様な哄笑を顔に貼り付け、
「──邪魔だから殺した、と」
それは徹頭徹尾、獲物である自分を生殺しのまま弄ぶ笑み。
説かれた答えを前に、察していながらも切は震える身を圧し留める事が出来なかった。
「切、お前は"ネクロマンサー"という存在を知っているか? いや、《魔術》という存在そのものを忌避していたお前に分かるわけがないか。"ネクロマンサー"というものは死者を呼び出す術に長けた魔術師だ」
頼んでもいないのに説明染みた台詞を紡ぐ秋水。
しかし、それは切の死への秒読みが始まっているからこそ行っている言動。
己の勝利に絶対の確信を持っているからこそ、出来る行為なのだろう。
「私が"ネクロマンサー"に出会ったのは暗殺の依頼の一つでな。日本へ不法侵入した魔術師を片付けて欲しいとの依頼を国家から承った時だ。その魔術師は開口一番に不法侵入の理由が、我が真神一族へ会うのが目的だと答えた。殺すのを留めた私は話しを聞いているうち思想の近いものを彼から感じ、直ぐに共感を覚えた。彼も私に同じようなものを感じ取ったのだろう、何度か話しを交わすと彼はこう言った──"若き肉体が欲しくないか"、と。利害関係を踏まえた上でな」
嗜虐的に笑い、会話を進める秋水。
「"ネクロマンサー"は死者を呼び出すわけではなく、人の魂を別の肉体へと移すことが可能な魔術師でもある。いずれ来るだろう次期当主の継承を目前とし、私は有頂天になった。四十代の身体……老いのみが進んでいくだけの身体に焦燥していたのだからな」
「だから……。だから、兄の身体に、手を出したのか?」
「ほぅ、今度は物分りがいいじゃないか。その通りだ、切。才に溢れた若々しい肉体。そして人望も厚いとくれば言う事なしだ。だから刃を誰にも邪魔されない山中へ呼び出し、ネクロマンサーの介入を経て私と刃の肉体を交換した。あの時の私の──いや、私の身体に魂を移した刃の驚き様といったら見物だったぞ。死に際に『切には手を出さないでくれ』と何度も何度も懇願していた。なんとも弟想いの兄だ」
「兄は……あなたの息子だぞ」
いまや秘め隠していた狂おしい怒りを剥き出しにし、切は秋水に叫ぶ。
しかし、返ってきた反応は鼻で笑うといった瑣末なものだった。
「息子だから何だというんだ? 勘違いするな切よ。私にとってな、息子なぞただの道具に過ぎぬ。特別な感慨など覚えた事も無いわ!」
「……っ」
切は──秋水の刀傷にではなく、秋水の言葉に心が折れそうになった。
身体はとっくに、激しい痛みに耐えられずに死へ誘おうとしている。だというのに、切の身体は必死になって秋水の言葉を否定し続ける。倒れればすべてが終わると、切が転倒を拒否しているのだ。
「切、あいつは言っていたそうだな。『真神の在り方を変えよう』と。奇遇だ、私もそう思っていたんだよ。昔から、ずっとな」
「……なに?」
「聞こえなかったか? 私も真神の在り方を変えると言ったのだ。なぜ、これだけの"力"を持ち得ながら暗殺者などという地位に成り下らなければいけないのか……。不思議に思わないか?」
「……俺も、兄と同様に守るために使うべきだと──」
「ハッ、そんな馬鹿げた思想など聞いていない!」
自分と刃の考えを両断するような、苛烈な秋水の罵倒。
「いいか! よく聞け切よ! これだけの"力"を用い、魔術師の介入もあれば国家そのものを掌握することだって夢ではない! 否! 以前からそのような考えを一族の誰かが持っていてもおかしくはなかったのだ! なのに誰も唱えようとしない! だからこそ私は真神を変える! 真神の存在を限りなく大きくしてみせよう!」
眩暈が切の身体を揺らす。踏みしめた大地が、硬さを失い崩れてしまうような眩暈。
秋水が……父が口にした思想を噛み締め、答えはすぐに出た。
──それこそ間違っている!
そんな狂言に誰もついて行くはずが無い。
「現当主……祖父はそれを許しはしない」
「ふんッ! 老い先短き者の、無責任な戯言に耳を傾けるつもりは毛頭にない。私は私の理想と信念を追い続ける」
「馬っ鹿じゃないの!!」
唐突に響いた声は二人の会話を遮るのには充分な音量だった。
切と秋水の視線が自然とそちら側へと誘導される。二人の視界に入ったのは、荒縄で身体を縛られた桜だ。
「あたしは切の一族とか暗殺とか旨く理解できない。けど、いまの話を聞いて一つだけ断言できるわ。息子の考えを尊重しないなんて父親として最低よ!!」
語気を荒げながら叫んだ桜の台詞に、しかし秋水は特に感慨を覚えた様子もなく睥睨している。そして不意に、彼は失笑した。
「勘違いするな人の子よ。我らは貴様らのような低俗の凡人とは違う。魔の力を裡に宿した誇り高き一族。それが──《真神》。《魔神の血》を引く者よ」
そう言うや、秋水は歩を進め始めた……桜に向かって。
「や、……やめ、ろ!」
強烈な既視感を悟った。急いで身体を前へ押し出そうと促すが、小刻みに震えるだけで遅々として進まない。
「切、お前は誰一人として救えない。兄と同様に……この小娘もな」
狼狽する切を尻目に、秋水は一歩、また一歩と桜に近づいて行く。
その時だった。唐突に、目頭にこみ上げてくる熱いものを感じたのは。
──もう失いたくない!
朧に揺れる眼は意識が途切れ掛かっているからではない。
涙だった。
これから行われるだろう惨劇を感じ取り、切の頬を涙が伝い落ちる。兄を殺され更には自分達とは関係の無い桜まで殺されようとしている。それが堪らなく遣る瀬無かった。
悲嘆に疲れ、煩悶に疲れ、奈落の底に突き落とされたような気分。
しかし──
「ここで……終われ、ない」
──それが彼の"今"の答え。
兄の理想は己の思念であり、兄の思念は己の理想と化していた。
そして彼は言った、『僕に万が一の事が起こった場合、その時は頼む』と。
「こんな、ところで……。朽ちる、わけには、いかない」
語気は限りなく弱く、些細なものだった。
世界がどれだけ過酷であろうと、非情であろうと、迷宮であろうと。護り抜ける力さえあれば、きっと前へ進める。兄がそう信じたように、自分もまたそう信じれた。
「俺は……守る力が、欲しい」
涙声で懇願するように搾り出した言葉。死相に彩られた顔で、最後に呟いた切の台詞に──ソイツは答えた。
……問おう。血の契約者よ……
* * *
桜の目の前に来た秋水は、まるで掃き溜めのゴミでも見るような目付きで少女を見下ろしていた。が、眼前の少女は気圧される気配も無く、こちらを睨みつける。
「勝気な小娘だ。あれだけの台詞を吐けるのだから、当然と言えば当然か……」
「息子を殺すなんて……正気の沙汰じゃないわ」
「私を前にしてそれだけの反抗的な態度を取れるとは驚きだよ。そうだな、その度胸に評して一つだけ願いを叶えてやる。命乞いすれば、お前だけでも助けてやるぞ?」
ゆったりとした動作で日本刀を持ち上げる秋水。切っ先を真上まで持ち上げ、目の前の桜に狙いを付ける。彼の膂力を持ってすれば、振り下ろされると同時に桜の身体は真っ二つになるだろう。
宣告の下された桜は唾を飲むように一度喉を鳴らし、正面に立つ秋水を見上げ慎重に呟いた。
「切を殺さないで。少しでも良心があるのなら」
「……残念だが、それは無理だ」
他者のために何故、そんな台詞を吐けるのかと秋水は黙考した。しかし、勢いよく振り下ろされた刀が、それらの雑念を全て払拭する。
落ちる刃は、さながら断頭台のような威力すら秘めていた。
そして桜を目掛けて奔る日本刀は──
強烈な閃光と同時に弾かれた。
「──ッ!」
突然の出来事に驚きながらも、秋水は掻き消えた閃光の在った場所を視認し──愕然とした。
「な、なんだ……オマエは」
目の前のモノを凝視し、あまりの予想外の出来事に秋水は思わず後ろへ一歩下がり、そのまま後退する。尻目に背後を見るが、切の姿は無かった。
「ま、まさ……か」
切なのか? と眼前にある影に問う秋水。絶体絶命のはずだった青年がそこにたたずんでいる。それだけならまだいい。
だが、その姿があまりにも"異形"を象っているのだ。その光景に自分の気が狂ったかと思うが──それは違う。視神経から伝達される情報は現実であり事実でしかなかった。
日本刀を携えた、黒一色に染められた体躯。
犬歯を剥き出しにし、赤光すら放つかと錯覚するほどの眼光の"魔神"が佇んでいるという事実を……。
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