《3》
工場内部に響き渡る、何十と連ねる甲高い貴金属音。
リズムやテンポという言葉を無視した、機関銃の速度を彷彿とさせる連続的な残響。
「ハハッ! 鍛練は怠っていなかったようだね。この数ヶ月でさらに腕を上げたようじゃないか!」
「────ッ!」 二人の交える刀が、空を斬り、打ち合い、火花を撒き散らす。
奔る刃──流す刃──反す刃。
無限の軌道を描きながら斬りかかる二人の刀が、非常識な速度でぶつかり合い、非常識な膂力をもって剣線を描き、非常識な金属音を響き渡らせる。
これほどの異常な速度で刀を薙ぎぶつけ合えば、刃こぼれ程度ではすまないだろう。最悪、日本刀が折れてもおかしくはない。
しかし、彼らが使用している刀は、普通の代物とは別格の代物。なぜなら通常の刀では、彼らの戦闘によって生み出される速度、技巧、衝撃に耐えられないからだ。
故に、二人の使用している刀は、選び抜かれた純然な玉鋼によって作刀された大業物。さらには、自然界に生成される鉱物の中でもっとも硬いといわれる金剛石によってコーティングされた最高峰の日本刀といえる 「最高だ切! やはり君との一戦は血沸き肉踊るよ!!」
陶酔と嗜虐が織り交ざった不快な笑みを湛え、刃は猛然と日本刀を振るう。
対抗するように切も、圧されまいと奮然するように白刃を閃かせた。
異常な膂力で、奇怪な速度の日本刀のぶつけ合いをする両者は、戦陣を建物の内部全体にまで広げていた。
絶え間なく繰り出される死と死の嵐。
刀の振るう速さ、駆ける速さ、描く速さ。
斬り付け、斬り裂き、斬り込む軌道。
剣舞、剣戟、剣光。
無限に繰り広げられる攻撃から攻撃への推移、歩み、軌跡。
地を駆け、柱を蹴り、舞うような足捌き。
攻防一体の流れ。
息を吸うタイミング、吐くタイミング。
数々の牽制の仕掛け。
幾重、幾多、幾度もの戦術の組み立て。
その全てが……一瞬の間で迅速にこなされていく。
両者とも戦闘経験が桁外れが故に、殺すか殺されるかの──たった"それだけのこと"。 直線的な切の剣筋に対し、刃の剣筋は曲線を描く。見ほれるほど美しい両者の剣筋は、同時に、見届けることが困難であり不可能な速度だった。
「──遅い!」
絶え間ない斬撃の繰り返しで出される音。それは死への誘い。
切は身を捻りながら長刀を大振りに回し回転。遠心力を利用した神速の斬撃を生み出す。 「──甘い!」
切っ先が刃の喉下擦れ擦れの所を通過。お返しとばかりに彼は、突風となって切の首を狙う。
「──ッ!」
切は首を払いに来る一閃を受けきった。
改心の一撃と紙一重の回避が幾重にも数を重ねていく。
勢いを余すことなく乗せた斬撃が容赦なく叩きつけられる。フラッシュのような眩い火花を放ち、両者の刀と刀が続けざまに激突した。
空間を震わす金属音。
空間を震わす顫動音。
空間を震わす破擦音。
切は日本刀が交わった瞬間に、滑らすようにして相手の刀の軌道を変える。彼の横を通過したのを直感し、数少ない好機を得たとばかりに横薙ぎに振るう。
それは絶対の自信を持って繰り出された反撃。
「予想済みさ!」 振り下ろされたはずの刀が、一瞬にして自分の攻撃を防御した事に切は驚きを隠せなかった。兄は手首を返して日本刀の刃を上にすると、先程とまったく同じ軌道を逆に斬り上げていたのだ。結果、両者の刀がぶつかり合い再びフラッシュのような閃光を生み出していた。
「ぐ……ッ!」
「まだまだァ!」
先程の反動で頭上へと向けられた双方の日本刀は──勢いよく降って落とされた。
今までに無いほどの残響音が波濤と化して周囲に伝播。それが消し飛ぶ間もなく、両者は日本刀の打ち合いに転じていた。
二人を包み込むように空間に溝が生じる。それは剣戟の嵐の具現化。
両者の日本刀が──
奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る奔る──
狂ったように織り成される斬撃の応酬。続けざまに鍔迫り合いへと持ち込まれた。
擦れ合う刀身を眼前に置き、
「あの時と同じだね……切」
「…………」
見る者を戦慄させるような刃の艶笑。それを真正面から切は受け止めた。
胸の中で燻る葛藤に苦しみながらも。切は決して視線を逸らそうとはしない。
と、不意を衝くようにして切は、身体の膂力を旨く使い、刃を押し遣る。その反動を感知した刃は逆らわず──寧ろ切の推進力を利用して、自らの身体を後方へと飛ばした。
吹き飛ばされた刃は宙で体勢を立て直し、床へと着地する。ざざざ、と草履と床が奏でる摩擦音が酷く響く。
同時に必然と──彼我の距離が空いた。 「…………」
「…………」
間合いは六メートル、一刀するには三の踏み込みを必要とする。剣士である二人では踏み込みしか手立てのない間合い。
全てを終わらせる。この戦いを先延ばししていたのは、自分にも責任がある。幕を閉じるのは己の務めだ。
だから……
「終わりにしよう……刃」 ぽつりと別れを臭わせるように呟き、切は鞘に得物を納める。加えて腰を深く落とし、左手を腰に差した鞘に添え、右手は柄に軽く触れた。
それは敗北の表れではなく、終幕への誘い掛け。
「……いいだろう。君の持ち掛けに応じようじゃないか」
そう言い、刃は目の前で日本刀を構え直した。
「な…に……」 切の顔に浮かんだのは動揺。それは相手に対する隠し切れない不審が見えていた。
刃の構えは《八行の構え》が一つ──《無形構え》。攻撃という点に徹し、状況に応じて切っ先の位置や構え方を変える型。
《鬼神流》の最大の特徴は、《八行の構え》のみで構成されているという点にある。通常の流派は《構え》から《技》へと繋げるのだが、暗殺が主体の真神にとってその繋げるという行為の"ラグ"は不必要であり不易でしかない。いかに素早く急所を突くかという点では《構え》のみが堅固であった方が効率がいいのだ。
──なんの……つもりだ?
だからこそ疑念が拭えなかった。
鞘に刃を収めたまま敵と相対し、間合いに入ったと同時に鞘走りを利用した高速の斬撃を繰り出すという抜刀術。《居合》は斬撃の瞬間まで刀身が鞘に収められているため、相手に容易に間合いを悟られないという恐ろしさがある。
その音速にも届く一撃を前にし、有ろうことか刃は防御を捨てるといってるのだ。
《無形構え》は攻撃に特化し過ぎて、防御は瑣末とされている。
自ら命を絶とうと、仄めかしているように見えてしまった。
「やはり《居合》か……。なら、僕からいくよ」
切の思考を打ち消すようにして、刃が正面から疾走。それは迷い無き脱兎の如く駆け出し。
双方の前にあった距離が、コンマ何秒という非現実的な速度で縮む。
困惑の念を残しながらも──刃が間合いに入ったのを視認した切は納刀の状態から、一気に日本刀を抜いた。
不可視の斬撃。 空間に冴える銀線。
何人たりとも止められぬ一閃。
しかし──切は目の前にあるものを"直視"し、図らずも尻込みという失態を犯す。動揺は身体を駆け巡り、切の振るっていた日本刀にまで影響を及ぼしていた。
「さよなら、切」
切を動揺へと誘ったのは……空間を奔る"三つ"の太刀。
一直線に落とされた斬り下ろし。
電光石火のような横薙ぎ。
苛烈な逆袈裟斬り。
この三つが"ほぼ同時"に切を襲った。
切の身体が、がくんと一度揺れる。腹部から血飛沫を上げながら、彼はくずおれるようにして膝を折った。倒れる瞬間、切は視線を刃へと向ける。
彼は自負心に満ちた笑みを湛え、
「散るがいい……我が《万華鏡》の前に」
揺るがぬ勝者ならではの捨て台詞を吐いた。
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