第4章 開眼
《1》
十一月──この次期になると、いよいよ冬季と呼ぶに相応しい季節だろう。
だらだらと蛇行したように続く河川。それを見下ろすように、緩く草の茂る勾配に寝そべる人物がいた。
切と陸だ。
何をするというわけでもない。肌をちくちくと刺すような寒さを気にする様子もなく、その場所から河川を俯瞰していた。
* * *
二週間前、『ヘブンズゲート』の事件は滞りなく幕を閉じた。
この事件が外聞として世間に晒される事はなく、陸──もっか八将神の大鳥家によって事件現場の証拠隠滅諸々を迅速に済ませてくれたおかげだった。
『ヘブンズゲート』はこの件を基に解散。メンバーの大半が警察に御用となり、そのまま留置所送り。しかしリーダーの野田竜也は人体の酷使が響き、病院での長期入院が必要となった。
その中で『ヘブンズゲート』のメンバーでもあった正人。彼は陸や桜、恋人の薫の願いもあり、もう二度とあんな真似はしないと誓いの下、日常生活へと戻る。
しかしこの事件よりさらに色めき立つ事件が、世間を騒がせたのは記憶に新しい。そのせいもあり『ヘブンズゲート』の話題がほとんど世間に流れなかったのは事実だった。
丁度、切たちが『ヘブンズゲート』と一悶着あった同日。東京都内で刀傷を残す老人の遺体が発見された。連続猟奇事件の疑いが掛けられたんだが、何故かそれ以降は事件を匂わせるような出来事は皆無だった。
そして二週間が経った今も……切と刃の次期当主を決める殺し合いの任は、未だ膠着状態が続いていた。
* * *
「今朝、家の連中から連絡があったよ。お前の親父さんが里からそう離れてない山地で発見されたそうだ」
「そうか……」
切は河川をぼんやりと眺めながら相槌を打つ。
「……悟ってたような言い方だな」
「父は俺が知る中で最高の剣の使い手。そんな人を屠ることが出来るのは、一人しかいない」
「刃だな」
「ああ。そして『禁忌』に手を出したというのも自明の理。疑いようが無い」
切はもう諦めきっていた。自分の崇拝していた兄は存在しない、と。
だから、自分が彼を手に掛けること事態……もう迷いはない。
「あの刃が本当にそんなことすると……本気でお前は思っているのか?」
勾配に背を預けていた陸が、よっこらしょと起き上がり、重い腰を持ち上げる。
草地に腰を下ろした切を見下ろす陸は、さらに会話を続けた。
「本当は信じたいんだろう? お前が尊敬するあいつを……」
「…………」
どうしてか、当然だと答える事が出来なかった。
己の道徳心を鴨の水掻きのように貫き、先導して真神の在り方を必死に変えようと一族全体に促し続けたその存在を。
それでいて真神という重圧に耐えながら、その肩書きを前にしてひとり悲哀の相を映し、生業で殺めた人物のために暗涙する心優しき暗殺者その存在を。
「……父が失踪する一週間ほど前、俺は兄に呼び出された」
「…………!」
切の口から漏れた言葉が、陸の表情に驚きの色を生み出した。
それが口火となって切は訥々と話しを進める。
「あれは誰もが寝静まった夜更けだった。呼び出された俺は突如のことに疑問しながらも、あの人の寝室へと向かった」
「……それで?」
「兄は蝋燭を一つだけ灯し、俺を待っていた。その時の兄は俺たちの知っているあの人だったのは確かだ。俺が部屋に入ると同時に面と向き合うように座らされ──開口一番にこう言った」
河川敷に向けていた視線を、ゆらりと持ち上げるようにして隣で佇む陸に投げる。
「──『僕に万が一の事が起こった場合、その時は頼む』と」
「…………」
陸は真摯にこちらを見つめ、それだけに留まっていた。
何も反論できないのだろう。そう察した切は気を良くしたように、普段は堅固な口を鷹揚に滑らせる。
「俺はその意図も意味も理解できなかった。ただ、その時の兄の顔が。酷く痛ましく、そして儚く感じたのは今でも覚えている。あの人は根が優しすぎた。才に恵まれながらも、本心ではそれを拒み続けていた。真神という生き方に。真神という地位に。真神という存在に。だからこそ、真神の重圧に耐えられず『禁忌』に手を汚してしまったのかもしれない。……俺は、そう思ってる」
全てを言い終え、切は視線を投げたまま黙する。
「…………」
陸は反論する様子もなく、そんな切を傍観したままばつが悪そうな顔をする。
しばらくのあいだ二人はその場に留まっていた。
* * *
夕刻。黄昏に染まる商店街を潜り抜け、切と陸は帰路へと向かっていた。
人の数は疎らと化し、昼間にある活気というものが抜け落ちたような静けさが包み込む。
その商店街の一角にある喫茶店──《Cube》へと二人は足を運んだ。
からん、というベルの音と共にドアが開く。ふと、そこで切は違和感を感じた。
表にはまだ閉店の表記ではなく、開店の表記が出されていた。にも関わらず、店内にクラシックの音楽が流れるだけで、人っ子一人見当たらない。
怪訝に思った切と陸はカウンターの中を覗き込み──
血潮に染まった床で倒れているマスターの姿を視認した。
「っ──!」
「マスター!?」
喫驚に叫んだ陸が回り込むようにしてカウンター内へとその身を移動させる。
そのままマスターの身体をゆっくりと仰向けにさせた。
「おいマスター! 大丈夫か!?」
「う…っ……ぐっ!」
苦痛からか、身を捩じらせ呻くマスター。薄っすらと瞼が開けられ、その瞳がこちら側へ吸い寄せられるように動く。
「り、陸…くん。それに……せ…つ……くんも」
過呼吸気味に胸が大きく何度も上下する。
「マスター! 一体何があったんだ!?」
「よく…分からないんだ。白い和服を着た…切くんに……よく似た青年が店に入った所まで……覚えて…いるんだけ、ど。それ、より……桜」
「────っ!」
電流を流されたような感覚を身に宿しながら、切は店から居候先へと走り始めた。
どうしたんだ切ッ!? という陸の言葉を耳朶に触れるだけに留める。焦燥に駆られながら、階段を走るようにして昇り、桜の部屋を勢いよく開けた。
中は……もぬけの殻だった。
生活臭のみを残し、部屋の主の存在は無い。
切は視線を忙しなく周囲に投げ──ぽつんと部屋の中心に置かれた小さなテーブルの上にある、一枚のメモ用紙を発見した。
『工場跡地で待つ。決着を付けよう』
「何故──」
──人質などという愚策を用いる。
"誰が桜を攫った"などと、考えるまでもなく理解できた。
しかしどうしても理解できない事が一つある。
「人質を取らねば、俺が行かないとでも思っているのか!!」
熱のこもった声と同時に、切の拳が部屋の壁を打ち付ける。壁を穿つような膂力で放ったためか、振動が暫し余韻として残った。
それ以上の怒りを発散しないように、切はふらふらと自分の部屋へと歩を進める。
「……もう後悔はしない」
洋服ダンスの中から黒装束が出てきた。
努めて冷静に、切はその和服を手に取る。
──これから向かうのは一族の当主を決める終着点。
馴れた手付きで袖に手を通し、
──待ち受けてるのは実の兄弟による殺し合い。
帯を締め上げる。
──口説く台詞などは無い。
部屋の隅に立てかけれた鞘袋を引き寄せた。
「決着を付けたいというなら受けてたとう。これ以上の愚行は見ていられない。俺の手であなたの命を絶たせてもらう──刃!!」
崇拝に近い思いは既に掻き消えている。代わりに沸いてきたのは兄に対する絶望。それが言葉として口から吐き出されたのだ。
踵を返すように切はその部屋を後にした。
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