《5》
野田は何も理解できなかった。
否──どんなに曲解した見方をしても、理解するのは不可能だろう。それほどの凄絶な光景が眼前で巻き起こっていた。
「なんだ……これは」
己を大鳥陸と呼んだ男は、ドラッグで痛覚麻痺する『ヘブンズゲート』のメンバーを完全に手玉に取っていた。
当初、ドラッグに溺れたジャンキーは荒れ狂いながらも、陸を取り巻こうと数で押し切ろうとしていたのだ。しかし、その考えは一瞬で何の意味も持たなくなった。
前後左右という二次元の動きしか出来ないジャンキーが、前後左右"上下"という三次元の動きをする人間を捉えるなどできようか?
「クソッ!!」
「ど、どこだ、どこにいった!?」
「右…!ち、ちがう左!? 見えない、速すぎる!」
慌てふためくジャンキー。追撃など出来るはずがない。
常人が駆け上がれるような支柱や壁を駆け上がれるはずが無く、可能としたところで高速で倉庫内を行き来する、怪鳥を捉える事がなど誰ができよう。
その劣勢において、反撃の機会を持つことが出来ないヘブンズゲートの衆はたじろぐだけに留まっていた。
「とろ過ぎるぜ、てめえら」
彼らを尻目に、陸は地を駆け、宙を舞い──蜂のように刺す。
蹴って、蹴って、蹴り続ける。
"ただ蹴るという行為で"、彼らを戦闘不能へと貶める陸。
左右の足を巧みに使い、息つく暇も無く連打。目の前の敵の顔面に、胸に、腹に、無数の豪雨と化した明彦の豪脚が降り注ぐ。蹴りの連打を締めくくったのは、天から奈落の底へと落ちんばかりの勢いを乗せた踵落とし。
「ドラッグでイッてんだろ? だったら根性みせてみな!」
痛覚の無い彼らが、次々と屠られ昏倒されていく。
それらを一瞥もせず、陸は標的を一瞬で見定め──そして蹴りこむ。
繰り返し、繰り返し行われる一方的な攻防は、後手に回るジャンキーを失意のどん底へと向かわせる。
サディスティックな笑みを湛える陸は、しかし的確に意識を根絶させる急所を狙い続けていた。
「オオオオォォォォ──ッ!!」
反撃に打って出ようとしたのか、野田とそう大差のない巨漢が怒気を発しながら、陸へ猛然と突っ込んでくる。
ショルダータックルでの突進。猪さながらのその男を──
「邪魔だ」
身体を半身分横にずらし、陸は受け流す。
さらにはカウンターの後ろ回し蹴りを巨躯の頭部に打ち込んだ。
それは鎌のように鋭く正確。
巨漢が体勢を整える隙を与えずに、陸はステップインから鳩尾を狙った蹴りを放つ。しなやかな左脚が、鋭いナイフのように振るわれる。さらに遠心力に全身の捻りを加えて軸足が宙に浮き、顔面目がけ鞭のような軌跡を描く。二段後ろ回し蹴りだ。
顔面からくずおれた巨漢に見向きもせず、陸は次の標的の下へ視認せず移動を開始した。
「餓鬼の分際で、んなもん持ち歩くな」
ナイフやスタンガンを手に持ち戦慄く、メンバーの中でも若い三人に接近するや、右足を振り抜く。
蹴る蹴る蹴る。頭、胸、腹の位置へと確実に蹴りを撃ち込む。さらに空中から放たれた陸の連続蹴りが、的確に相手の身体を蹴り射抜いた。
……静寂が奔ったのは、それから間もなくしてだ。
* * *
「ざっと……こんなもん、か」
肩を回すようにして、身体をほぐす様な仕草をする陸。
弛緩した表情。大学から科された課題をこれからどうやって片付けようかといった、倦怠感に身をゆだねた学生の顔をしていた。
しかし──その彼の背後に広がる、死屍累々とした暗鬱な光景が、先程まで繰り広げられていた戦闘──もとい、一方的な暴力を如実に物語っていた。
「…………嘘だろ、おい」
デパートで母と逸れた子供でも、ここまで顔面蒼白にはならないだろう。
両目を限界まで開き、野田は一人残らず気絶した仲間を見やっていた。
「ば、化け物……」
「化け物? そりゃねえだろ。おれもお前と同じ人間さ。ただ、ちょいと人体の構造が違うけどな」
そう言って陸はゆっくりと野田の方へと歩み寄る。
「……ひッ」
下手をすれば三十センチ以上の身長差がある野田が、怯むように後退。
「く、来るな! 来るんじゃねえ!!」
近寄ってくる陸に苦悶のような威圧をぶつける。だが、その威圧は最早なんの意味も持たない。
威圧は戦いを未然に回避しようとする相手の弱さに訴えるものだから。いまの現状では、自らの傷の深さを表に曝け出しているに過ぎなかった。
ずるりずるり、と。コンクリートの地面を擦るようにして下がる野田は、唐突に何か踵に触れたのを感じ、無意識に背後を見る。
「……は、ハハ!」
身動きの取れない桜たちを視界に入れた野田は、自然と笑みを溢していた。
「動くな! それ以上近づけば、こいつが怪我するぜ!」
取り出したナイフを桜の頚動脈付近に当て、揺さぶりをかけた。
人質の桜が小さな悲鳴を上げるものの、野田は見て見ぬ振りをする。
──ここから撤退すれば、あとあと他のメンバーを召集できる。いまは逃げる事が先決だ!
形勢逆転といわんばかりに獰猛に笑う。
しかし恐怖に目をきつく閉じる桜を前にして、陸は動揺の色を見せない。あろうことか陸は、欠伸を噛み殺すという不可解な行動にでていた。
「な、なに考えてるんだ……? こいつがどうなってもいいのか!?」
「────ッ!」
先程より深めに突き立てられたナイフによって、桜の首筋に血の赤玉が浮かぶ。
小さな呻き声を上げた桜を見、陸は「あ〜、流石に不味いな〜」とぼんやりとした声で嘯き、
「切ー。もう出てきていいぞー」
陸がそう呟いた刹那。
天井に取り付けられた天窓が、けたたましい音と共に破砕した。
「な……っ!?」
咄嗟に上空を見上げた野田は、落下してくるガラスの破片と一緒に落下してくる"物体"を視認。頭部から真っ逆さまに堕ちてくるのは紛れもなく人間の姿だった。
「……冗談だろ」
うんざりするほど無茶苦茶な光景を、何度も直視し続け辟易する。想定外の事態に、野田は人質からナイフと身体を離し、自分が孤立している事にさえ気付いていなかった。
野田へと落下してくる物体は、確実に速度を上げ──何かが空間を凪いだ。
後ろ首に衝撃が奔ったのはその瞬間だ。
鞭打ちされたような突然の出来事に、野田は無意識に現状の確認に入っていた。
ガラスの破片が倉庫のライトの光によって煌き、幻想的にすら見える。
そのなか──着地の衝撃を和らげるように膝を折り、こちらを見据える青年がいた。
(そんな……)
見間違えるはずが無い。
右手に日本刀を携えるその青年は、ついさっきまで一緒にいた人物と同じだ。
「安心しろ。峰打ちだ」
鋭利な刃物のような冷たい視線が、本当に"彼"なのかと野田は疑問を抱いてしまう。疑惑に包まれた野田は、刃と瓜二つの顔をした青年を傍観したままくずおれた。
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