――紅霧――




     第3章 導かれるままの邂逅



     《1》


 地面に落ちていた紅葉が秋風に攫われ虚空へと舞う。
 猛威を振るっていた夏の熱風は遠くへと過ぎ去り、気付けば秋になっていた。
 そんな十月の下旬──八王子市にある大学の一つが賑わいをもたらし活気に満ちていた。
 装飾過多な校舎。その内部も見て取れるほどに飾りによって彩られ、焼きソバ、お好み焼き、ポップコーン、わた飴などの多種多様な模擬店がそこかしこに軒を連ねている。
 少し離れた大学の正門には巨大な横断幕と、門の横に配置された看板が立て掛けられていた。
 横断幕と看板には達筆で初秋祭──俗に言う文化祭の事だ。


 大学内は人ごみでごった返していた。
 入試の視察がてらに赴いた高校生。通りすがりに興味本位で訪れた親子連れ。その大学に通う生徒の恋人などなど。外来者は普段入り慣れていない校舎や中庭にある模擬店などを、手探りで探るように徘徊していった。
 そんな中、
「…………帰りたい」
 と、ぼやいた紺色のダウンコートに包まれた切が、うな垂れる様にして肩を落としていた。
 視界の360度全てに収まる人の群衆。気付いた時にはもう、校内は来客でごった返していた。四方八方が人だらけで、それによって生じるうねりが、まるで大海の渦のように見えてしまう。
 何処かで見たような光景だな、と切は感じ、以前に行った渋谷だと思い出す。
 ──東京に来てから四週間弱……一ヶ月か。
 今日まで刃の行方を探すものの進展はなし。
 未だ桜の家で居候が続く状況下に置かされていた。
「はぁ……」
 数えるのも飽き飽きしてきた本日十数回目の溜め息。
 桜たちに誘われ、この場所に足を運んできたのだが、どうもそぐわない。
 顔には出さないが心身共に落ち着かないのだ。
 ──気持ちの問題だろうか?
 と、考えるが首を横に振って否定した。
(焦っているんだな……俺は)
 周囲に聞こえない細々とした声で切は呟いた。
 兄である刃とは奥多摩の一戦以来、一度たりとも顔を会わせていない。あれから一ヶ月と経っているが、その間の接触はゼロだった。
 ──だが、メッセージは残している……。
 連続猟奇事件。
 八王子や町田で起きたこの事件は、都心にまで規模を広げ、ここ数週間で被害は二桁に上っていた。一ヶ月弱でこの数は前例が無いらしい。前代未聞の無差別殺人だと、ニュースや新聞のトップページを飾っていたのを目にしていた。
 警察機構が全力を上げて捜査を行っているようだが停頓を続け、捜査は難航の一途を辿ったままだ。機動隊まで引っ張り出されているものの、殺人は容赦なく続いている。
 ……あの人が捕まるはずない。
 犯人は言わずも兄である刃だと切は悟っていた。
 『それじゃあ、お先に僕は都心の方に赴くとするよ。ああ、心配しなくていいからね切。僕が都心の何処にいるか分かるよう、細工はしておくから』
 思えば、これこそが彼のメッセージだったのだろう。
 さらに陸からの情報で、神楽の長及び家臣が渋谷で無残に引き裂かれた死体となって発見された旨の報告を受けた。
「決定的、か」
 何も感じず人を屠る刃の姿が容易く脳裏に浮かぶ。そしてこれからも殺人活動は自主的に止めない限り続くはずだ。
 ──しかしなぜだ。
 神楽の者を死に追いやったのは致し方が無いと割り切ったとしよう。だが、納得の出来ない部分はあった。
 ──何の関係もない人間まで、その手に掛けるとは……。
 無関係の人間までその手に掛け続ける、過去の姿と相容れない狂気にひた走る兄の存在。
 切の胸中では愕然と呆然の二つの感情が交わる。
 皮肉にも未だ刃の姿が思い浮かび、
「────」
 違った。
 それは脳裏に浮かぶ単なる情景ではない。
 眼から視神経を通して脳に伝わってくる情報は正常なものに過ぎなかった。
「おや? 久しぶりじゃないか切っ」
 驚愕に見開かれた切の眼前。
 レザージャケットとパンツに身を包んだ刃が、愛嬌に満ちた表情を顔に湛えていた。


「奇遇だね〜、切」
 明るく振舞いながら近づいてくる刃。
「兄……」
 その軽快な動作を前に、切は無意識に一歩下がり警戒の意を表す。
 次いで自然と懐に隠し持っていた洋包丁に手を回し──
「待った」
 洋包丁の柄に触れようとした刹那、刃が静止の合図を送ってきた。
「安心しな。得物は持ってきてないよ。それに、こんな所で一戦遣らかそうなんて君も思っちゃいないだろう」
「……では、何のために俺の前に現れた?」
「警戒心むき出しなんて、つれないな〜。それに今回は君に会いにきたわけじゃないよ。偶然だよ、ぐ・う・ぜ・ん。たまたま通り掛ったら祭り沙汰のようなことが起きてたから興味をそそられたのさ」
「…………」
 ニッコリと笑みを浮かべ、刃が本心から述べているような台詞を吐く。
 対する切は無言で視線を投げたままだ。
 刃の口から出た台詞が偽りのようしか聞こえない。偶然にしては余りにも出来すぎている。半信半疑の視線を兄に放ちながら、切は積極的に思考を促していた。
「ならば、この件は兄の言うとおり偶然という形で解釈しよう。その代わり話がある」
「本当に偶然なんだけどな〜。でもお堅い弟が譲歩してくれただけでもいいか。それで? 話ってなんだい切?」
 稚気のある相貌を崩さず小首を傾げる刃を見て切は憤りを感じた。
「ここでは人目に付く。場所を変えたい」
「いいよ。校舎裏なら人通りもないと思うけど……どうする?」
「そこでいい」
 切は了承の合図を送る。
 二人は猥雑とした校内から瞬く間に消えた。


「……あれは言伝のつもりなのか?」
 少しだけ躊躇いのあった切の言い分。
 校内を離れ校舎裏に行き着いた二人に、和やかなムードなどは存在しなかった。
 あるのは、対峙するように佇む事で生まれる険悪な雰囲気。
「言伝……?」
 切の言葉を耳にした刃は考える素振りを垣間見せる。
 そのまま数秒の間を空け、
「ああ、あれのこと! 気付いてくれたんだね、僕が残したメッセージに」
 嬉しそうに言った。
 本心から喜んでいるような表情と台詞に、切は必要以上の負荷を与えるように奥歯を噛み、吐きたい怒号を抑え込んだ。
「なぜ、なぜ殺した?」
「なぜ? 決まっているだろう切。彼らは次期当主を掛けた僕たちの戦いを邪魔しようとしたんだ。だから──」
 間を一つ置いた刃は妖艶の色を浮かべた瞳を弟に向け、
「──殺した。一人残らず。邪魔者は消えて、君へのメッセージ代わりにもなったんだから万事解決、一石二鳥じゃないか」
「────ッ!」
 憤りに震える拳を押し殺しながら切は思う。
 心の底からこの状況を楽しんでいる、と。
「ならば……。ならば、なぜ関係のない人間まで巻き込んだんだ?」
 吐露する言葉には震えがこもっていた。
 返ってくる台詞が、再び切を奈落の底へ落とすようなものに違いないからと思ったからだ。
 だが──
「何を言っているのか……質問の意味が解らないんだけど。どういうことかな?」
 返答は更なる問い掛けとなって戻ってきた。
 肩を竦め「説明がほしいな」という刃の一語一句に対して猜疑心が膨れ上がる。
「惚けるな。都心で起きている殺人事件、あなたの仕業だろう。ここにきてまだ白を切るつもりか」
 ──言った。
 ニュースを目にしてから、その犯人は刃以外にいないと考えるまでもなく予測していた。しかも犯行現場には無数の切断面が発見されている。打診の余地も必要ない。
 だから……
「ああ、僕もニュースで見たよ。連続猟奇事件。犯人は誰なんだろうね、、、、、、、、、、
 返ってきた台詞を前に、思考が一時停止した。
 ──コノヒトハ、ナンテイッタ?
 戦慄が切の身体を駆け抜ける。その様子に気付くことなく刃は嘯く。
「けど都心で派手なことをやってのけちゃうなんて驚きだと思わないかい?」
「アナタの……仕業じゃないのか?」
「ん? まってくれよ切。まさか僕がアレをやったとでも? いくら僕でも時と場合を考えるよ。それに僕が実行したとしたら犯行現場に切断面なんて残すと思う? 下手な小細工はせず、一撃の下に屠って行方を暗ますさ」
 滔々と話す刃の口調は真のものでしかない偽りのない本音だった。
 加えて刃は細く鋭い纏わり付くような視線を切に向けたまま、
「なるほど……ずっと僕を疑ってたわけだ。まあ、細工をしておくと言った僕のせいでもあるわけだけど。現場に残っていた刀痕をメッセージとして解釈しちゃったかー。神楽家の者達の遺体がメッセージ代わりだったんだけど失敗だったかな。しかし、だ。そんな簡単に兄弟の僕を犯人に見立てるなんて酷いな〜。悲しくなるよ〜」
 憂いのある物言いだったが、逆に顔は嬉々としていた。
 切は何も語れない。考えてみれば自明の理だった。刀痕などという痕跡を残して物事を大きくするのは、自分にも刃にも不利な状況に立たされるのは確かだ。
 ──なら、この件は真神と何の関係もない?
 思考から燻り出した答えはなんとも拍子抜けなものだった。猟奇事件は既に十名を超えた大事件に変わりはない。だが刃の仕出かした物事ではないと知り、どこかホッと安堵している自分がいる事に切は気付いた。
「でも納得がいかないな」
 台詞は唐突だった。
 視線を向け直した切の瞳には顎に手を当て考え込む刃の姿が。
「少なからず僕が犯人扱いされたのは事実。癪に障ったね」
 言うや、刃は翻りその場を離れようと歩き出した。
「兄……!」
 すかさず止めに入る切。反応した刃はゆっくりと振返り、
「やる事が見つかったんでね。僕はこれで失礼するよ。それと──」
 刃の瞳が真剣な眼差しに帯び、
「──言わなくても分かると思うけど、覚悟は決めておいたほうがいいよ。終焉はいずれ迎える事になるんだからさ」
 じゃあね、と微笑みながら、刃はその場から消えていった。




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