──V──



 ソビエト連邦の支配時代に手荒く扱われ、"零落した貴婦人"とも卑下されたリーガの街は、第一次種間戦争という荒波に揉まれながらも耐え抜き、"バルトのパリ"と言われていた頃の外観を見事に取り戻していた。

 そのなかリーガ旧市街は夜の帳の下、静かな景観を維持していた。等間隔に設置された街灯が通りに仄かな明るみを漂わせ、夜霧と絶妙な調和を取っていた。

「どう、フロン。直せる?」

「ここがこうで……っと。オイラが不在の時は携帯を使わない約束だったろ。昨日といい今日といい軽率な行動は慎んでほしいな、まったく」

 アパートの一室。

 わずかな明かりを頼りに、フロンがせっせと携帯端末機の修理に取りかかっていた。光源を最小限にし、物音を極力出さないようにし努めているのは、ベッドで静かに寝息を立てているアリスを起こさないためだ。

「フロンに指摘されて、もしかしたら使えるかもって思ってさ……」

「それで結果がコレなわけか?」

「……弁明の仕様もないよ」

「まあいいけどな。思ったほど損傷は無いし……お、付いた付いた」

 携帯端末機の電源が入る。ホログラフィック・ディスプレイとタッチパネルが端末機の周りに自動展開した。蛮が所持している携帯は、先進技術抑制法から解除されて数年の三次元映像技術をふんだんに活用した最新式の機器だ。

 フロンが巧みなタッチで操作すると、ディスプレイに受付嬢のような服装をした妙齢の女性が出てきた。

「こちら国連情報サービスセンターです。どのようなご要望でしょうか?」

「登録番号12190213。内線0011番をお願いします」

「少々お待ち下さいませ」

 短い返答の後、ディスプレイに映っていた女性が恭しく頭を垂れる。画面が切り替わり、地球と鳩の絵が重なった国連の紋章が表示された。

 しばらくすると待機画面が再び切り替わる。ディスプレイに映し出されたのは、眼鏡を掛けた柔和な雰囲気の男性だった。

「やあ、バンくん。そろそろ連絡が来ることだと思ってたよ。フロンくんもお元気そうでなにより」

「お久しぶりです、レジナルドおじさん。……少し痩せましたか?」

「まあ、ここのところ安保理のサミットが込み入っているせいかな。そういうバンくんこそ心なしか窶れているように見えるんだが……息子がまた迷惑を掛けたかな?」

「いえ、ただの寝不足です。ラグナとは別行動を取ってますから、特に問題はありません。……フロンも必要以上に毒舌を吐かないでくれますし」

「……キミには随分と迷惑を掛けてるね」

「……お互い様ですよ」

 蛮とレジナルドは互いに乾いた笑みを浮かべる。やがて「はあ〜」と鬱屈とした溜息を同じタイミングで漏らした。沈鬱とした負の気配がそこかしこに漂っているようである。

「本題に入ります。ニュースを見ました。あれは一体どういうことですか?」

 先ほどまでの憂い顔はどこに消えたのか、蛮の顔は真剣味を帯びていた。レジナルドも同じように本腰を入れるようにして、眼鏡のブリッジを上げた。

「あんなデタラメな嘘が通るとでも? 配線のショートによる火災なんて誰が信じると思ってるんですか?」

 レジナルドは、小さく深呼吸すると訥々と話し始めた。

「ジェネシス社ビル火災事件はバルト連邦刑事局に一任するという形で評議会で決定したそうだ。国連もこれには異論を唱えていない」

「……本気ですか?」

「ああ、例年通りにリーガの祭典を実行するためにね」

 蛮は見るからに不機嫌そうな顔をしていた。捻くれた子供のような訝しんだ表情で、レジナルドを睨め付ける。

「たかが祭り一つのために、事件そのものを隠蔽したんですか?」

「それがバルト共和国の行政府たっての頼みだ」

 ホログラフィックディスプレイの中にいるレジナルドの瞳は真剣そのものだった。思わず別人と見間違えるほどの外連味のない表情。普段の温厚そうな顔立ちに見慣れている分、時たま覗かせる鋭利な双眸は不意打ちとしか言いようがなかった。

「リーガの祭典は第一次種間戦争の終戦を祝うというより、その後の国家併合の祝祭という意味合いが強く根付いている。エストニア、ラトビア、リトアニアの三国は先の大戦でソ連が消滅するまでその国の支配下にあった。長き支配時代から解放されたバルト共和国にとっては国民の団結力を今一度高めるため必要不可欠なものなんだ」

「まだ吸血鬼の残党がリーガに巣くうっているんですよ? 下手をしたら大事件になりかねない。政府に難癖つけるつもりはありませんけど、それにしたって……」

「バンくん。彼らは政治家だ。その大半が左脳で考える杓子定規なインテリ揃いでしかない。創造性に欠けている反面、何でも理屈で押し通そうとする。それに昨日の事件で吸血鬼の犯行だと確信できる証拠が何一つ出てこない事が痛手となった。ジェネシス社のビルが全焼したお陰で遺体の大半が焼死体として発見。科学調査班の検死でも身元を解明するまで最低でも数日は掛かるそうだ」

 レジナルドは一旦そこで言葉を切った。

「当日はバルト連邦刑事局の他にインターポール、さらに国境警備隊が派遣されることが正式に決定した。けど、リーガ祭りの当日開催は覆らない」

 蛮は半ば諦めたように嘆息した。

「国連は動かないんですか?」

「国連が表立って動けば、かえって相手を刺激しかねない」

「……バチカンの大司教ともあろう御方が言う台詞とは思えませんね」

 蛮の皮肉な物言いに、レジナルドが苦笑いを浮かべた。

「安全保障委員会の委員長"兼"大司教だよ。だがそれも所詮は肩書き。バチカンからしてみれば隠遁しているのと同じようなものだ」

 緊張の糸がほぐれたのか、張り詰めていた場の空気が幾らか緩和したようだ。

「分かりました。リーガ祭の件は保留にしておきます。もう一つ。ラグナからの情報によると今回のターゲットは軍に所属していたらしいです。──所属機関名はGRU」

「ソビエト連邦の情報機関……なるほど戦争の置き土産か。確かに厄介なことではある」

 苦渋の選択を迫られたような渋面をつくり、レジナルドは肩を落とした。

「さらにもう一つ。ジェネシス社を占拠した吸血鬼の目的はどうやら彼女らしいんです」

 携帯端末機をズラし、ベッドの上で横になっている少女の方へ画面を向けた。

「その子は?」

「ジェネシス社の最上階で厳重なセキュリティーのもと保管されていました。ビルが炎上する前に助け出して、今はここで匿ってるんです。警察に渡すのも心許ないですし。心当たりはありませんか?」

「…………」

 ホログラフィックディスプレイの中のレジナルドは、寝静まる少女を見て考え込んでいる。やがて何かに思い至ったように言葉を紡いだ。

「ジェネシス社とバチカンが太いパイプで繋がれていることは知っているかい?」

「いえ……初耳です」

「そういや、お師匠サマからジェネシス社とバチカンの開発部との人材交友は戦前から盛んだって聞いたことあるな。それに先の大戦で人類側の勝利を決めてとした……まてよ、アイツらがジェネシス社のビルから強奪しようとした物って──」

 レジナルドが神妙な顔で頷く。

「恐らく……彼らがジェネシス社で強奪するとしたら《聖遺物》だろう。設計はもっかバチカンの仕事だが、開発や量産はジェネシス社が受け持っていると聞く。支部とはいえ、《聖遺物》が保管されていたとしてもおかしくはない」

「聖遺物って確か、ラグナが所持してる槍もそうですよね? そういえば聖遺物って詳しく知らないんですけど、一体どんな代物なんですか?」

 蛮の疑問に、待っていましたとばかりにフロンが目を光らせた。

「言ってしまうと"場違いな科学(オーパーツ)"さ。第一次種間戦争のあいだ一事停滞していた科学技術だけど、その間もバチカンでは成長し続けた。その結果生み出されたのが、《聖遺物》なるハイ・テクノロジーだ。食物プラントや大気制御衛星などの装置を始め、吸血鬼に対抗するための兵器を世に送ったのは他でもないバチカンだ」

 フロンの説明は続く。

「その聖遺物のおかげで終戦にこぎ着けられたし、その後の戦後恐慌などで衰えると予想されていた科学力が維持し続けられたのもバチカンの恩恵のおかげだな。最も、それらの聖遺物の大半は世間に公にされてないから、蛮が詳しく知らないのも無理はないけど」

「けど強奪しようとしたのはアリス本人だよ。その線は考えにくいんじゃ……」

「たしかに、人型の聖遺物というのは聞いたことがないね」

「それじゃあアリスを攫おうとしたのは手違いってことかい?」

 蛮にフロンにレジナルド──三者共々、唇をへの字に結んで唸った。

 これ以上の会話は不毛と感じた蛮は、

「仮説を幾ら立ててもキリがないですから、とりあえずこの件も保留ということで。アリスはしばらく僕と一緒に行動してもらいます。多分その方が安全だと思いますし」

「余計に負担が掛かると思うんだが、平気かい?」

「大丈夫ですよ。ラグナがいない分、負担はずいぶん軽減されてますから」

「そうか……なら、お願いするよ。彼女の処遇に関しては、おいおい連絡させてもらう。それじゃあ頼んだよ、バンくん」

 回線が切れるとホログラフィックディスプレイも停止した。

 蛮は背もたれに寄りかかり、大きく伸びをする。視線をベッドの方向へ移動させた。小さな寝息を立てるアリスの顔を見て、ふと蛮の脳裏に、一人の女性の面影が過ぎった。

(そういえば似てる……彼女に)

 身体の異変とは別に、蛮はアリスに対して引っ掛かりのようなものを感じていた。凝りというか、妙な違和感を今に至るまで引きずっていたのだ。

(初めて会ったときの彼女と同じ雰囲気。もしかして既視感にも似た症状はそれで……)

 両者の出会い頭は非常に似ている。どちらの邂逅も、結果的にいえばその身を救いだしたことから始まったのだ。その女性も出会って間もない頃は、いまのアリスのように頽廃的だった覚えがある。

「──というわけだけど、これからどうするつもりだい?」

「……え?」

 使い魔の唐突な問いかけに、思わず蛮は気の抜けた返事をした。

「だーかーらー、明日はどうするつもりだって聞いてるのさ。リーガ祭も重なってるし」

 考え事が先行していたためか、フロンの話を聞きそびれていた。

 なんとなく内容を把握した蛮は、

「ここは相手の出方を窺うべきだと思う。待ち構えるとしても吸血鬼が活動を始めるのは陽が沈んだ後だから、それまではアリスと一緒に祭りに参加するのも有りかな。君に言われたとおり、たまには息抜きも必要だしね」

 窓の外では昼間の鉛のような雲は払拭されている。

 変わりに満月のような真円に近い月が頭上で謳っていた。





†             †             †





「この世界には二つの『魔力』というものが存在する。一つは『オド』。もう一つは『マナ』だ」

 革張りのソファーに背を預けた男は粛々と語り、窓の外に映る月の高さに合わせ、ブランデーの入ったタンブラーグラスを掲げる。

 その男──《魔術師》コルテス・ブロックは上機嫌に微笑を浮かべた。

 若干白いものが混じっているオールバック風の茶髪。上背で痩せ型の体はタキシードの礼服に包まれている。穏やかで節を弁えた紳士然とした風貌をしているが、常に他者を見下ろすような、下目づかいの目付きが印象的だ。

「オドと呼ばれるものは……そうだな、言うなれば"生命力"だ。生物なら誰しもが体の中に内包したものと解釈してもらっていい。だからこそ、そのオドが切れるとイコール"死"に繋がる。ゆえに、どんな生物でも常に外界から一定の魔力──マナを自動的に取り入れてる」

 タンブラーグラスを手中で弄びながら、コルテスは机を挟んだ先にいる男性を見る。

 コルテスより頭半分抜けた背丈の男性は、筋骨隆々とした巨躯をソファーに沈め、膝の上で両手を組みながら、ジッとこちらを注視してくる。右の瞼の上から顎にかけて奔る、一筋の切り傷が相手に畏怖を与えるかのよう。さしずめ獲物を静かに狙う百獣の王だ。

「外界のマナを吸収する量は個々によって違うが、時間さえあれば体内で変換したオドが必要な値まで溜まる。だが吸血鬼は──きみたちはそうならない」

「……なぜだ?」

 空間を満たす威圧感に気圧されつつも、コルテスは平静を装いながら説明を続けた。

「吸血鬼は人と同じ体の構造をしながら、ヒグマ以上の怪力や、銃弾を肉眼で確認して回避できるほどの反射神経を持つ。それらの身体的なスキルを維持し続けられる要因は一重に体内のオドを無意識に大量消費しているからだ」

「オドの消費……オマエが扱う魔術といった類のようにか?」

「物分かりが良くて結構。ただ、ぼくが行使する魔術は常日頃からオドを消費しているわけじゃない。魔術を行使する時だけ必要な分のオドを放出する。が、吸血鬼は構造上それができない仕組みになっている」

 コルテスは口角を吊り上げた。

「確かに吸血鬼も外界からマナを取り込んではいる。けどオドの消費量から考えると決して足りていない。そこで一つクイズを出そうミハイル。吸血鬼はどうやって減少した分のオドを取り入れたらいいと思う?」

 鋼のような硬質さを漂わせる巨躯の男性──ミハイル・ベケノフはジッとコルテスを見据えながら考えに耽るように押し黙る。

 やがて考えが纏まったのか、ポツリと呟いた。

「…………吸血行為か」

「その通り。吸血鬼がなぜ血を吸うか。理由は足りない分のオドを補うために他ならない。人間という生き物は他の生物よりも群を抜いて豊富なオドを体内におさめている。古来より吸血鬼が人を襲ってその血を欲する理由はその一つだ。人間の血液の中に含まれたオドを取り込み、己の血肉にする」

 コルテスは足を組み直し、話しを続ける。

「血というものは魔術の世界では生命の川と呼称されている。魂と同一視される媒体と言われ、呪いや呪縛、儀式でも頻繁に活用されている代償のモノだ。シャイクスピアの史劇の一文にもあるだろう。魔王や悪魔との契約には血の署名が必要だ、とね」

「そんなものに興味はない。とりあえずはキサマの解説である程度は納得できた。ワタシ達にリーガに滞在する間は血を吸うな(、、、、、)と言った理由もな」

 威嚇とまではいかないが、窘めるような視線を受け、コルテスは苦笑した。

「ミハイル、そう邪険しないでくれ。それに今のところ代用で補えているだろ?」

「これのことか……」

 そう言って、ミハイルは自身の手の甲に彫られた刺青のようなものを見下ろす。象形文字とも見間違えかねない幾何学な模様が、甲の上を奔っていた。

「不思議なものだな、魔術というものは。所詮、絵空事のことだと思っていた。それに刺青を彫られた直後、キサマが『適当に女性を強姦(レイプ)してきてくれ』と言ったときは正気を疑ったぞ」

「事前に説明しただろ? 吸い合い(サッキング)は必要ない。性交(ファッキング)だけで十分だと」

 コルテスはグラスの中身を一息に呷った。

「強姦はともかくとして、性行為は別段、魔術の世界ではさして珍しいものじゃない。きみたちに施した刺青のは性魔術と呼ばれる儀式的なものの一種だ。ルーン文字で施されたその刺青によって、"吸血行為"ではなく"性行為"という形でオドを取り入れることを可能にした」

 ニヒルな笑みを浮かべたコルテスは得意げに話を続ける。

「確かに吸血鬼にとって血を吸うという行為は危険を孕んでいる。吸血鬼としての証拠が否応にも残るため一歩間違えればすぐに国連の軍隊やバチカンの特務警察が動きかねない。だが性交の場合はどうかな? おおよそ、ただの婦女暴行事件として処理されるのがオチだ。『作戦』を円滑に進めるためにも、慎重に事を運ぶ必要があるだろう?」

「ああ、分かってる。だが腑に落ちない点がある。どうしてワタシたちと手を組んだ? オマエの目的はバチカンへの報復だ。協力を請うなら《カタロス》の方が妥当だと思えるが……」

「はン、《カタロス》だって? 反バチカン組織最大と銘打たれてるテロリスト組織らしいが、一般人を巻き込むことを何よりも嫌う穏健的な思想家の集まりだ。彼らと組んでも大した戦果は望めない。それに比べてきみたちは違う。数々の戦場を渡り歩いてきた正真正銘のプロフェッショナルだ。趣旨は違えど同盟を組むに値すると踏んだのさ」

 コルテスとミハイルは、しばし相手の出方を探るように視線を交差させていたが、隣の部屋とを隔てる扉のノックによって中断された。

「なんだ?」

「少佐。例の武器商人が来ました。すぐにでも商談を始めたいとのことです」

「分かった、すぐに行くから待つように伝えろ」

 コルテスとミハイルは互いに目配せし、隣のリビングルームへ足を運んだ。





 ピルセータス運河から、ほどよく離れた新市街の一角にある建物。旧市街を見渡すことができるそこは、国内外のVIPも御用達のバルト共和国随一の格式と豪華さを誇るリーゼネホテルだ。

 そのホテルのスイートルームの壁には、見るからに値の張りそうな油絵や水彩絵などの絵画が掛けられていた。床にはペルシャ絨毯。革張りの椅子。席を外れて大きなマホガニー材のテーブルとモダンなソファーが配置されていた。

「AK-74突撃銃四十丁。マカロフPMM自動拳銃七十丁。PK機関銃五十丁。ドラグノフ狙撃銃二十丁。ジャベリン多目的ミサイル六基。RPG-29対戦車ロケット六基。レッドアイV地対空ミサイル七基。C-4プラスティック爆弾六百個。その他諸々……ご要望の代物は以上デす。事前にオ申し付けされマしタA.V.W.Sは、四機とモ御要望通リの武装ヲ装備。品物はコルテス様とミハイル様ノ指示通り所定の位置ニ配置させテおきましタ」

 コルテスとミハイルに向かって手を摺るのは、黒のスーツに身を包んだ細身の眼帯をした男だった。相手のご機嫌を取るように揉み手する様は、いかにも商売人然とした雰囲気を漂わせている。発生器官に障害でもあるのか、引っかかるようなだみ声だった。

 席を外した部屋の所々に、その三人以外にも人影があった。どれも身なりは整えてはいるが、服の下に隠れた鍛え上げられた肉体や、商売人然とした男に向ける威嚇的ともいえる鋭い視線は、とても堅気には見えない。その大半がミハイルの部下達だった。

「結構。この短期間でこちらの要求をほぼ完璧に呑むとは。さすがはワイズマン商会。かの有名な武器商人ビクトル・パットと実際に対面できるとは感激の極みだよ」

「身ニ余る光栄デす。でスガ、ワタくシ達は顧客のオ望み通リの品物を用意しテいルダけ……決しテ褒めラれ囃し立てラれるホドのことデはありマせン。当然ノことヲしているマデです」

 ビクトル・パットと呼ばれる眼帯をした男性の慇懃な姿勢に、少なからずコルテスは好感が持てた。他者を見下すことを常とする彼にとっては、ビクトルのようにへりくだった態度の人物を下瞰することに満足感を得られるからだ。

「殊勝な心がけを素晴らしく思うよ。ぜひプライベートでも親睦を深めたいね」

「イえイえ、お客様トその様ナ形で交流をモつなドもッての他。ソレはそうト、コルテス様。そロそロ、お会計の方ヲ……」

 揉み手をするビクトルがよりいっそう媚びへつらう仕草を見せた。相手の意図を汲み取ったコルテスは「総額で幾らになる?」と先を促した。

「締めて一四四億八四五三万飛んで五五二イェンにナリます」

「ふむ……。良心的な値段とは言い難いが法外というわけでもない。いいだろう、一括で払わせてもらう。金は品物を確認次第振り込む。それで構わないかな?」

「モちろんで御座イます。でハ、ワタくシはコノ辺で失礼を……」

 極上の笑みを浮かべながらビクトルが席を立つ。コルテスとミハイルに恭しく一礼すると、踵を返してドアの方へ歩き始めた。

「……ん?」

 ビクトルは突然、その歩みを止めた。

 途中まで買い手の部下らしき者達から訝しげに睨まれていたが、前方の壁際に寄りかかる青年の鋭い眼差しは群を抜いていたのだ。

「…………」

 無言を貫きつつも、青年のビクトルを見る視線は刃物のように鋭利だ。

 百八十を超えた体は薄い茶褐色の肌で覆われ、強引に後ろで括り付けたくせっ毛の髪は、燃え盛る炎を彷彿とさせるような緋色。その下から覗かせる切れ長の瞳は、獣のそれを想起させ何人たりとも近づけさせない雰囲気を醸し出していた。

「……なにか?」

「…………」

 ビクトルが問いかけても青年は一言も喋らず、ただ静かに見据えてくる。

 しばし沈黙が流れ、

「エクィテス、なにをしてるんだ。退きたまえ」

「…………」

 コルテスの言葉に従い、エクィテスと呼ばれた青年は面倒くさいといった態でドアへと続く通路を空ける。同時に今し方の緊迫感が払拭され、ビクトルは安堵の胸をなで下ろした。

 すでに、その少年はビクトルを見ていなかった。場所を変えて再び壁にもたれ掛かると、こちらの事などお構いなしといった風に、視線はあらぬ方向を見ていた。

「もう大丈夫だ。済まなかった、彼は気性が荒くてね」

「いエ……こチラこそ長居してシまッたようデ。それデハ、又ノ御利用をお待チしておりマす」

 最後に扉の前で一礼すると、ビクトルは静かに部屋から退室していった。それを見届けたミハイルがポツリと呟く。

「ワイズマン商会……合法・非合法を問わず紛争当事国やテロリスト、一般人にも武器を撃っている世界最大の幽霊商店。どこからともなく大量の武器を提供してくるため『賢者(ワイズマン)』などという大層な名が付けられたという噂は本当らしいな」

「金を払っている間は心配ない。それともミハイル、なにか心配事でも?」

「そういうわけじゃない。ただワイズマン商会の組織構成は全て不明。顔の利く者ですら、その内部まで明かされたことがないと聞く。無理を承知で頼んだ最新鋭のA.V.W.Sをいとも簡単に取り寄せると寒気すら覚える」

「気にしすぎだよミハイル。彼のおかげでこちらは予定通り事を運べるんだ。明後日の作戦に支障はない。むしろ感謝すべきじゃないかな?」

「そうだな……。だが、それとは別に一つオマエに訊きたいことがある」

 ミハイルのそれは話の腰を折るような言い草だったが、コルテスは取り立てて気分を害したような様子は無かった。

「その青年……エクィテスといったか。彼は一体何者だ? 昨日までいなかったはずだが」

 スイートルームの広間に重い空気が立ち込める元凶は、どうやらそのエクィテスという青年のせいらしい。広間に集うミハイルの部下の視線は、コルテスとそのエクィテスという青年に向けられていた。

「これは済まなかった。紹介するのが遅れてしまったらしい」

 わざとらしい話し方は一ヶ月もすれば慣れてくるものだが、決して快諾できるものではなかった。コルテスの人を食った態度はいつものことだったが、彼が次に紡いだ言葉が場の雰囲気を余計に掻き乱した。

「彼の名前はエクィテス・クラッシス。──賞金稼ぎだ」

 どよめきは一瞬にして訪れた。緊迫とした空気が波濤のように広がり室内に満たされる。

 ミハイルの部下達は統制の取れた動きを見せた。吸血鬼特有ともいえる刹那のごとく俊敏な身ごなしで人間の二人を囲う。

 だが、それをミハイルが手を上げて抑制するように指示した。

「しかし少佐!?」

「何の理由もなしに賞金稼ぎがこの部屋にいるはずがない。説明してもらおうか?」

 ソファーの隣に座るミハイルが、眼光鋭くして視線を寄こしてきた。

 コルテスはエクィテスに席を外すよう促した。エクィテスはコルテスらを一瞥した後、静かに隣の部屋へ移動を始めた。途中、ミハイルの部下達に蔑むような目をぶつけられるが、彼は素知らぬ顔でリビングを後にする。

 それを確認すると、コルテスが微笑しながら弁明の言葉を口にしだした。

「すでに周知の事実ではあるが、複数の賞金稼ぎがリーガ市内に滞在している。ターゲットはほぼ間違いなくきみたちだ。国連は万が一に備え、非公式ながら賞金稼ぎを派遣している。その数は三名」

「……うち一人は彼というわけか。どうやって付け込んだ?」

「別に難しいことじゃない。この事件の報奨金の十倍出すと吹っ掛けた。二つ返事で応じてくれたよ。所詮は賞金稼ぎ。大金をつぎ込めばどんな輩だって──」

「ふざけるなっ!」

 釈明の言葉を遮ったのは、同じ部屋にいたミハイルの部下だった。コルテスのあからさまな美辞麗句に堪忍袋の緒が切れたのか、テーブルを叩きつけ魔術師に詰め寄った。

「キサマの独断専行には沢山だ。こちらの言い分を全く聞かず、あまつさえ賞金稼ぎを懐柔しただと? オレたちの仲間がその賞金稼ぎに殺された上でかッ? 規律を乱すような行為は即刻止めてもらいたい!」

 ミハイルの部下は、怒髪天を衝いたような形相を目と鼻の先まで近づいてくる。ミハイルが割って入ろうとするが、コルテスがやんわりと制止した。

「規律を重んじることは大いに結構。が、それで勝てない時はどうする? 有効な手段があると分かっているのに規律に反するから使わず、あげく惨敗を喫するつもりかな? フン……きみたちの愛国心もほどほどにしてくれたまえ」

「キ、キサマ……馬鹿にしてるのか!?」

 今にも襲いかからんばかりに言い募る相手に、しかしコルテスは平常心を崩さなかった。ここで自分を殺せば、これから実行する『作戦』は全て水の泡に帰すと心得ているからだ。

「いいや、そんなことはない。ただ、ぼくはきみ達のように大層な愛国心(ナショナリズム)を持ちあわせていないが、それでも同じように理想郷(ユートピア)を目指している。だからぼく達は同盟を結んだ。それに今回の作戦における軍資金は、ぼくが提供しているということを忘れないでほしい」

 ミハイルを始め、彼の部下の言い淀む姿を見てコルテスは胸中でせせら笑った。

 賞金稼ぎを懐柔したのは、『作戦』の支障となる障害を一つでも多く省きたいという意味合いもあるが、それ以上に自分のボディーガードとなる存在を側に置きたかったからだ。

 コルテスはミハイルを始めとした吸血鬼を端から信じていない。

 そもそも吸血鬼という魔物の存在のせいで、コルテスは報復の道を辿らざるを得なくなったのだ。本来なら魔術師らしく、日々を魔術の研鑽に当てたかった。しかし、突如としてそれは叶わなくなったのだ。

 だからこそ、悲願を達成するためならば手段は問わない。そのためなら忌み嫌う吸血鬼とだって手を携えると心に誓ったのだから──。

「賞金稼ぎを付け込んだからといって、なにも悪い話だけじゃない。ご丁寧に他二名の賞金稼ぎの情報を提示してくれた」

 コルテスは一通の封筒を取りだし、その中身をテーブルの上へ開示した。これにはミハイルとその部下もどよめいた。ミハイルは書類を手に取り素早く目を奔らせる。十代半ばの少年が載った証明写真に視線が固定された。

「アンドルー、確か目標は東洋人の少年と共にビルから脱出していたと言ってたな」

「間違いありません、この少年です。しかし尾行するにも勘づかれていたらしく泣く泣く断念を……。気配を殺しても完全に把握されているような気分でした」

 ミハイルの部下であるアンドルーは、臍を噛んだような苦渋じみた表情を浮かべた。アンドルーだけではない。他の部下も同様に、仲間を殺され気が立っているようだ。

 そのなかコルテスだけは普段と変わらない態度を保っていた。

「退いて正解だよ。吸血鬼のオドを探知できる装置を保持している賞金稼ぎもいると聞くからね。深追いは危険だ。土地の霊脈を利用した結界をフロア一帯に張っておいて正解のようだ。ここにいる限り、きみたちの存在が気づかれることはないだろう」

「もう一人の方もかなり厄介な存在だ。ラグナ・G・リシュルー。賞金稼ぎのクラスはこの少年より上のA-。メルコスール国最大の麻薬シンジゲートを始めとした大組織を幾つか壊滅している。……コルテス、この二人コンビだぞ。解決した過去の事件が全て一致している」

「随分と若いコンビのようだね、見くびられたものだ。けど、吸血鬼化したミハイルの部下を四人とも殺害する技量は評価に値する。おそらくサイボーグやブーステッドの類による肉体強化だろう。昨今の賞金稼ぎじゃ珍しくないことだ」

 コルテスは鼻で笑った。

 資料を見るからに、二人の賞金稼ぎの技量はかなりのものと見受けられるが、過大評価するほどの事ではないと感じた。こうやって情報が網羅した以上、彼らに対する対策を練ることも容易い。ゆえにコルテスは──

「この賞金稼ぎと目標はぼくとエクィテスに任せてほしい。きみたちは明後日の準備に全力を注いでくれ。停滞気味だった作業を急ピッチで進める必要があるだろうからね。人員をこれ以上割くのは忍びないだろう?」

 ミハイルは少しだけ逡巡するような態度を見せたが、事実、コルテスが言うように『作戦』の予定開始時刻まで残り少ない。ミハイルは「了解した」と頷く。

 同時にコルテスは、タンブラーグラスを掲げた。

「歴史は真実と欺瞞から成り立ってる。だからこそ、ぼくたちでそれを正さなければならない」

 疑心に満ちていたミハイルの部下達の瞳に、初めて彼の意見に賛同する意志が表れた。それぞれの手に手にアルコールの入ったグラスがあり、コルテス同様それを高く掲げた。



「──さあ、『マンハッタン封鎖事件』の再来といこうじゃないか」






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