────────仮面(ペルソナ) は剥がれた

















【序章 煉獄 / Purgatorium】


















 7月28日 21時50分 (現地時間)
 日本 鹿児島県南部 奄美諸島 『ニライカナイ』




 その高層ビルの内部全域に、非常事態を知らせる警告音が鳴り響き、壁に取り付けられた警報ランプが明滅を続けている。

 同様に、その建物の一室──《バベル》の第一発令所が慌ただしい喧噪に包まれていた。

「目標、第三区、第九区まで侵攻! なおも別区画へ進行中!」

「住民の避難状況は32%で遅滞! 目標の予想以上の侵攻によるものと推測!」

「第七偵察分隊からの通信途絶! 第十、十一偵察分隊からの通信にノイズが発生! 駄目です、広範囲によるジャミングの可能性あり!」

 そこは人工の光に輝く室内だった。

 三方の壁に埋め込まれた大型スクリーン。その手前には操作卓や計器盤、制御装置、監視装置等々、夥しい機器がずらりと並んでいた。それらを操るのは複数のオペレーターだ。

「目標、第二区のB-12ブロックへ移動中! 同区の地下シェルターに接近!」

「奄美大橋にて住民の暴動発生! 収拾不可能です!」

 オペレーターの各報告を耳にした副指揮官──新田一也(あらたかずや)は歯ぎしりを起こして、現状に焦りを隠せないでいた。

 新田は眼下のオペレーターたちにキッと鋭い視線を寄こし、

「住民の救助と避難を最優先! 避難の完了してる場所から鎮圧部隊を向かわせろ!」

 と、激励さながらの指示を出していた。

 新田一也は指揮官専用の雛壇のディスプレイに表示される状況──否、"戦況"を凝視した。前線からひっきりなしに送られてくる被害報告は、なおも凄まじい勢いで増え続け、小型ディスプレイの画面をびっしり埋め尽くす。

(悪い夢じゃないのか……?)

 新田一也の顔は、焦燥ですっかり青白くなっている。そんな状況下に置かれながらも、彼は気を保ちながらオペレーターに指示を下していた。





†             †             †





 実際その状況を視認にするまで、"奴ら"がこの都市に群れをなして出没したという報告は、何か質の悪い冗談としてしか捉えることができなかった。

 部下からの突然の招集にがっくりとうなだれ、せっかくの休日が台無しにされたと嘆いた。自分の直接の上司に当たる人物が、長期休暇を利用してサイパンで趣味のサーフィンに興じているだろうから、余計にそう感じたのかもしれない。

『急いで来てください! 緊急事態なんです!』

 しかし携帯端末機から迸った部下の声音は、明らかにいつもとは違っていた。

 虚を突かれた新田は、車を飛ばして急いで《バベル》のビルに入った。そして発令所へ向かい、部下からの報告と、正面に配置されている大型スクリーンに映し出された光景に愕然とした。





 奄美諸島の人工島────

 ────住み慣れた『ニライカナイ』の都市の一角が橙色の炎で彩られていた。





「なんだ……これは?」

 現実離れした光景に、新田は一瞬思考が停止していた。

 部下の様子が余りにも普段とは違っていたので、急いで発令所へと赴いていた新田はスーツではなく私服のままだ。だが、それを気にする暇は一瞬で吹き飛んだ。

「ニ、『ニライカナイ』全域に避難勧告を発令! 治安維持部に通達し、全部隊の出動要請! 大至急、CEOに連絡を取り付けるんだ!」





†             †             †





 そして現在、新田は再び正面の大型スクリーンに視線を固定していた。

 星空の直下。海上に浮かぶメガフロート──『ニライカナイ』の一角に立ち並ぶのは幾つもの高層ビルだ。今の時間帯からすると普段ならネオンの光に包まれ、夜の世界を露わにしているはずだった。

 しかし今現在、そんなものは無かった。変わりに、それらを包み込むのは炎と喧噪。そして、この異様な惨事を引き起こした"奴ら"の姿だ。

 『夜の眷属』、『闇の住人』、『生ける死体』等々──民話や伝承などに登場する幾つもの異名で呼ばれる魔物が、木立を駆け抜けるオラウータンよろしく、炎で包まれた道なき道を疾駆し『ニライカナイ』を蹂躙しようとしている。

 窓ガラスの割れたビルや、路上で横転した車から噴き上がる炎をバックにして、猛然と突き進む青白い肌の持ち主たち。充血したような赤い瞳を瞬かせ、異様なまでに発達した、もはや"牙"と表してもいい犬歯をまざまざと見せつけるそいつらは────

「糞……【吸血鬼(バンパイア)】め!」

 新田はスクリーンに向かって毒づいた。

「《マルドゥーク》より偵察衛星による目標の解析が完了との報告! 3Dディスプレイに映します!」

 スクリーンとオペレーターの間にある空間に、電子音と共にホログラムが浮かび上がった。海上に浮かぶ『ニライカナイ』が、衛生を介してリアルタイムで映し出されたのだ。

 バベルが誇る偵察衛星の探査能力は絶大だ。吸血鬼が建物の中や地下に潜めていたとしても、大気圏外から見下ろす高解像度レンズの目を眩ますことはできない。

 だからこそ、ホログラムに浮かび上がる無数の緑の輝点に戸惑いを隠せなかった。

「そ、そんな……。何なんだこの数は?」

 ホログラムに映し出される小さな緑の輝点は、吸血鬼を指し示している。

 しかしながら目の前には、百を優に超える輝点の光。それと同等の数の吸血鬼が『ニライカナイ』を跋扈しているとなると、もはや正気を保つだけで精一杯だった。

「なぜだ。これだけの吸血鬼が気づかれずに『ニライカナイ』に侵入するなんてあり得ない」

 『ニライカナイ』は、奄美諸島の海上に浮かぶ人工島だ。四方を海に囲まれた完全な離島である。必ず船舶、ないし航空機などの移動手段を用いなければ、足を踏み入れることなどまず不可能だ。

「これだけの数が、偵察衛生の目を掻い潜るなんて芸当できるはず……」

「内通者の可能性がありますな」

 背後から掛けられた声に反応して新田は振り向いた。

 発令所に入ってきたのは一人の老人だった。

 襟首あたりで括った白髪。細目と顎から落ちる長い髭。顔に刻まれた何十という皺は、幾つもの辛酸を嘗めてきた証であろう。杖を携えたその体は少しばかり猫背気味だ。

 しかし、その体からは、ある種の貫禄が滲み出ていた。

「……情報部の重鎮である(チャン)氏がなぜここに?」

「この状況では隠蔽工作もありますまい。テロリスト集団の仕業にでもしろと?」

 皮肉の混じった台詞に新田は頭を振る。

 その老年の男性──張王炎(チャンオウエン)は新田の横に立ち、眼前にあるスクリーンとホログラムに視線を向けた。厳粛な性格で知られてる張の顔が険しさを露わにしている。

「状況は……聞かなくてもよいですな」

「ああ、最悪の一言に尽きる。住民の避難もまだ半分も済ませてない。治安維持部の部隊を総動員しても人手が足りないくらいだ。日本政府からは?」

「軍を派遣した旨の報告は来ております。が、なにぶん状況が状況ですからな。沿岸警備隊はすでに全滅。残りは『ニライカナイ』から奄美大島に住民を避難するだけで手一杯なのかと……」

「こちらの戦力だけで対処しろ、か。開発部が着手してる新型の《A.V.W.S(エーヴス)》は?」

「先ほど海原(かいばら)嬢に連絡をしたところ『まだ実戦投入は無理に決まってんだろ、馬鹿野郎!』と突っぱねられてしまいました。形にはなっているようなのですが、フレームと人工筋肉のアーキテクチャ及び摩擦係数にまだ少しの不備が見られるらしく……実戦に出しても故障するのがオチだそうです」

「あの馬鹿、ムキになって第五世代の機体に取りかかるからこうなるんだ……」

 新田は苦悩するように目頭を抑えると、すかさずオペレーターの一人に指示を送った。

「開発部の海原に連絡を── 一時間やるからなんとしても完成させろ。拒否するなら、お前の『ウミーのマル秘ポエム帳♪』をコピーして会社内の全ての掲示板に貼り付けて公開してやる──そう新田が言ってたと伝えてくれ」

「りょ、了解!」

 オペレーターは戸惑いつつも、すぐさま開発部に副指揮官の伝令の通達に掛かる。その間に新田と張は、声のトーンを落として会話を続けた。

「だが張……なぜ突然、内通者だと?」

「……《マルドゥーク》の制御管理システムの一部プログラムが改竄されていたのです。吸血鬼たちがあれだけの大多数で押し寄せてきても偵察衛星に探知できなかったのは、恐らくそのせいでしょうな」

「改竄、だと?」

「そう。それも巧妙な隠蔽工作も兼ねて数ヶ所……吸血鬼が『ニライカナイ』に侵攻してきたと同時に元のシステムに戻る仕組みになっておりました。マルドゥークのシステム改竄により、偵察衛星の情報が反映されなかったのではないかと」

 新田の顔が吸血鬼の襲撃とは別の意味で険しくなった。

「ちょっと待て……。あれは相当額の献金の対価として教皇庁(バチカン)から譲り受けた《聖遺物》だぞ。量子コンピューターを組み込んだ数世代先を行くAIに侵入なんて、そんじょそこらのハッカーでも不可能……まさかっ?」

「……そのまさかです」

 真っ直ぐ視線を寄こす張の顔には疑心の欠片一つない。そして彼の言わんとしている内容の意図を掴んでしまった新田は、しかし生半可にそれを肯定することができなかった。

「いや、しかし──」

 思わず新田は言葉を濁す。

 その直後、オペレーターの一人が声を張り上げた。

「国連本部から入電! ビ……B-3一機がラムシュタイン空軍基地よりスクランブル!」

「なんだとッ!?」

 新田は立ち位置から身を乗り出した。

 B-3──過去、アメリカ空軍に採用されていたステルス戦略爆撃機B-2の後継機だ。B-3はその後継機として、ドイツの軍需産業を主とする企業が作ったという曰く付きの代物だ。

 そんな禍々しい物を何の理由も無しに、この極東に位置する日本へ飛ばすはずがない。

「オペレーター! 現時刻の『ニライカナイ』全域の汚染度の報告!」

「レベル3です。レベル4には到達していません!」

「どうなってる!? 国連指定の最高汚染度(レベル5)まで有余はあるはずだぞ!!」

 新田は卓上に握り拳を打ち付け怒号した。B-3の目標は間違いなく『ニライカナイ』だ。

 焦燥に駆られるそんな新田の姿とは反対に、張は冷静な面持ちで言葉を口にした。

「どうやら、その教皇庁による後押しでしょうな。ドイツから発進して日本に到着する頃には丁度、レベル5に到達すると予測した……やはり『帝国』と同じ大陸にあるこの都市が邪魔でならないのでしょう。『帝国』へ攻め入る口実もできる」

「こっちは同じ人間なんだぞ。クソッ、吸血鬼より質が悪い……!」

「教皇庁はさながらウェルギリウスでしょうか」

「はっ……! それでB-3がダンテで、我々はベアトリーチェとでも? こっちは天界へ導く気なぞ更々ないというのに」

 苦虫を噛みつぶしたように新田は顔を歪める。そのとき、頭上に取り付けられたスピーカーからノイズ音が流れた。しばらくすると、流麗な男性の声が発令所に木霊した。

『遅くなってすまない。状況報告を頼む』

「か、会長!」

 新田の顔に生気が戻り始めた。《バベル》の最高経営責任者(CEO)との通信が繋がったのだ。切羽詰まったこの状況下、彼の声ほど心強いものはなかった。

「CEO……ご無事でなによりです」

『その声は張か? すまなかったな。連絡しようにもこの惨状だ。連絡が繋がらずあくせくしているうちに、こんなに時間が掛かってしまった。それよりも現状の報告を──』

一八二七(ヒトハチフタナナ)時に『ニライカナイ』第一区にて目標との接触があったとの報告あり。以後、断続的に住民から目標を視認したという情報が入ってきています」

 年若い女性のオペレーターが更に言葉を紡ぐ。

「二二一五時現在、時計回りに第一、第二、第三区、反時計回りに第十二、第十一、第十、第九区に目標が侵攻。住民の避難は34%。汚染度数はレベル3です」

『……国連からは?』

「数分前にB-3を一機、スクランブルしたと入電が……」

『…………』

 オペレーターの報告に、CEOなる人物は押し黙る。

 B-3が発進した意図はすぐに理解したはずだ。

 そして国連──『国際連邦政府』の判断が異常に早いことも勘づいているに違いない。

『張、この状況をどう見る?』

「ふむ。老いぼれの考えが御期待に添えられるか分かりませんが、この事件──仕組まれたものである可能性が高いでしょうな」

『なぜそう思う?』

「『ニライカナイ』に侵入してきた目標──吸血鬼は総じて"転化"したてであることは確かです。充血に似た真っ赤な瞳に青白い肌……吸血鬼になってまだ間もない初期段階の特徴がしっかりとでている」

『他には?』

「《邪眼(イビル・アイ)》によってマインドコントロールを受けておりますな、ほぼ間違いなく。錯乱状態に近い様相でありながらも、複数で固まる組織だった動き。おそらく裏で糸を引いてる輩がいるかと……」

 張の推測に、新田とオペレーターはただただ驚嘆していた。

『相変わらずの観察力、恐れ入るよ。さすがは"先の大戦"をくぐり抜けただけのことはある。だからこそ、無理をいって勧誘したのだがね』

「恐縮です。あの大戦であなたに会わなければと思うと今でもゾッとしますな。中華連邦が消失した後もこの老いぼれが生きていられたのは、あなたの庇護があったからこそです」

 両者の深い信頼からなる会話は、他者が入り込む余地など無かった。しかし状況は切迫したままだ。新田は申し訳ないと思いつつ、二人の会話に割って入った。

「会長。治安維持部の約半分の部隊が身動きの取れない状況です。このままでは『ニライカナイ』が目標によって陥落させられるのが先か、B-3のミサイルの餌食になるのが先かのどちらかしか残されておりません。…………ご決断を」

 重々しい新田の発言に、その場に水を打ったような静寂がおりる。スクリーンの両脇に取り付けられたスピーカーから漏れる『ニライカナイ』の阿鼻叫喚が、非情なまでに発令所内に轟いていた。

『張……《ヴェアヴォルフ》隊は控えているか?』

「…………やはりこの状況を打開する方法はそれしか残されておりませんな」

 顎髭をさするご老体の顔に何とも神妙な、名状しがたい諦念の色が浮かぶ。同時に新田の思考が別の方向に働いていた。

(ヴェア……ヴォルフ隊?)

 吸血鬼の暴走や侵攻、および住民への感染を阻止するために作られたのが治安維持部だ。この部署は、さらに枝分かれして鎮圧課や偵察課などといった纏まりができている。が、これまで一度も、《ヴェアヴォルフ》隊などという組織を聞いたことはない。

「会長、《ヴェアヴォルフ》隊というのは──」

「司令!」

 CEOに問いかけようとした刹那、再びオペレーターの一人から報告が入ってきた。

「だ、第一区に滞留中の目標がもの凄い速度で減少しています!」

「な……っ!」

 会話は途中で断絶させられた。眼前に浮かぶ『ニライカナイ』のホログラムへ、発令所にいた彼ら全員の視線は否応にも向けられる。

 彼らは目を剥いた。

 『ニライカナイ』を跋扈する緑の輝点が、突如として次から次へと消え始めたのだ。

 そして────
















「だ、第一区の目標…………完全に消失(ロスト)
















 彼らの視線は、3Dホログラムに釘付けになっていた。数にして約三十個。わずか数十秒の間に、第一区に蠢いていた緑の輝点が消えて無くなったのだ。

 ホログラムの緑の輝点が消える。それは即ち吸血鬼が死滅したということに他ならない(、、、、、、、、、、、、、、、、、)

「だ、第二区で更に目標の減少を確認! まさか……そんな……こんなことあるはず……」

 その異常な光景を前に、オペレーターも冷静な判断を失いつつあるようだ。今度はいきなり減少し始めたのだから、混乱するのも無理はない。

「オペレーター! 他の区画へ目標が移動しているという可能性は? もしくは地下へ逃げ隠れた可能性も考えられなくは──」

「いいえ、どちらも当てはまりません! 目標は間違いなく減少の一途を辿っています!」

 緑の輝点が消える不可解な現象は、確かに第二区へ浸透していた。目まぐるしい状況変化に、新田は平常心を保つことさえ難しく感じつつあった。

 こんなとき自分の上司にあたる人物だったら、わずかな好機を探り出し機転を利かせるだろう。思わず浅はかな考えが浮かび、新田は己を叱責するようにして唇を強く噛んだ。

 ちょうどその時、スピーカーから新たな人声が流れ込んできた。

『こ、こちら第四鎮圧分隊! し、司令室、おお、応答願う!』

「第四鎮圧分隊。こちら副指揮官の新田だ。どうした?」

 彼らはいま第二区で交戦中だったはずだ。その分隊から連絡があったということは、彼らが吸血鬼を駆逐しているということになるのだろうか。

 だが返答は予想とは裏腹のものだった。

『何なんだ……アレ(、、)は……あ、あんなの…………ああ、あんなのあるわけ……』

 電波妨害によって言葉が途切れているわけではなかった。

「第四鎮圧分隊の隊員、落ち着くんだ。いったい何が起こっている? 目標の反応が消えているのとなにか関係があるのか?」

 ここで怒鳴りつけては元も子もないと新田は思慮し、飽くまでも諭すような台詞を選んだ。スピーカーの奥から、鎮圧分隊の隊員の生唾を飲むような音が聞こえた。

『突然乱入してきた何者かが……目標を殲滅しているんだ』

 新田が眉をひそめる。乱入者? 治安維持部でも吸血鬼でもない第三者が?

『張。《ヴェアヴォルフ》隊をすでに送ったのか?』

「いえ、彼らはまだ控えております。そのようなことは……」

 CEOと張の会話からすると、その特殊部隊はまだ『ニライカナイ』に送られていないようだ。とすると、いったい何処の輩だというのか。スピーカーを介して伝達してきた隊員の台詞の続きは、この場にいる誰もが想像もしていなかったものだった。

『…………一人だ』

「なんだって?」

『だから一人なんだ!』

 叫んだ隊員は一気にまくし立てた。


突然現れたソイツがたった一人で吸血鬼を退治してるんだ(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、)!』


 報告が終わるのと同時に、メインスクリーンに『ニライカナイ』の一角が映し出された。第四鎮圧分隊の隊員から送られてきたリアルタイムの映像のようだ。

 スクリーンに映し出されたのは第二区に屹立する幾つもの摩天楼。大企業の高層ビルがひしめく区画だ。しかしその摩天楼も、今は噴き上がる炎に彩られ、あたかも地獄のような情景を演出していた。

 そのビル一つ──屋上のヘリポートらしき場所に複数の人影が立っていた。

 一つの人影を取り巻くようにして、複数の人影がにじり寄る。すり足で少しずつ接近を試みているのは吸血鬼とみて間違いないだろう。そして恐らく、囲まれている側の人影は人間。状況からして追い込まれていると新田には思えた。

 彼ら吸血鬼はある一定の距離まで縮めると、疾風のごとくその標的へ飛び込んでいった。飢えた肉食獣のような吸血鬼が、四方八方から同時に迫られては回避は不可能だろう。

 発令所の誰もが息を呑む。

 だが次の瞬間、信じられない光景が新田の眼前で閃いた。

「な──ッ!?」

 吸血鬼が標的に飛び込んでいく刹那、空間に銀光が奔ったように見えた。が、それを確かめようとした時には全てが終わっていた。

 なぜなら、襲いかかろうとしていた吸血鬼がぶつ切り状に切断されていたからだ。

 空中に投げ飛ばされる吸血鬼の肢体。血飛沫をあげながら、屋上のヘリポートへ落下していく。群れをなして襲いかかってきた吸血鬼は、その一つの人影に一瞬にして肉塊へと解体された。

「…………」

 新田は二の句が継げないでいた。いや、今の光景を見て平然と口を開ける者などいるのだろうか? あの張でさえ、口を半開きにしてただ呆然としている有様だ。

 スクリーン越しに映し出されるその人物は、背後で噴き上がる炎や距離もあってかきちんと全貌を把握することができなかった。

 唯一、ここからでも分かることは二点だ。その人物が身にまとうボロ切れのような外套が、せり上がる炎の流れによって勢いよくはためいている。そしてもう一つ、それがあまりにも特徴的だったのだ。

「…………死神」

 ぽつりとオペレーターの一人が呟いた。

 ────死神。

 それを想起させる巨大な"大鎌"をそいつは携えていた。襲いかかってきた吸血鬼の群れを一瞬で返り討ちにした凶器。彼は勝敗を一瞬で決めつけた大鎌を振るい、付着した血を払い落として肩に担いだ。

「…………」

 言葉を失うとはまさにこの事だった。

 新田を含めた第一発令所にいた面々は、スクリーンの中央に位置する死神を凝視する以外に遣ることがないといった具合に、ただただ呆然としていた。

 渦をなす炎を背景に佇むその人物を明確に判別することはできない。それでも、その光景をまるまる額縁にはめ込めば、上等の絵画として名を轟かせるのではないか。そう思ってしまうほどに、荘厳と畏怖を混じり合わせた絶世の一面が、新田の視界を埋めていた。










 業火の中に佇むのは死と破壊のアレゴリー

 無明の闇を切り裂いた冥府の番人は

 鋭利な曲線を描く大鎌を携え

 ボロ切れのようなローブを身に纏う















 ──────宿命の歯車(ギア)は、いま噛み合った。








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