【終章 明日は明日の風が吹く】 〈15〉 パターデル村と外とを隔てる出入り口の前で、マリアとエルミナ、アンディと孤児院の子 供たちが集まっていた。 旅行鞄を持って佇むマリアに燦々と陽光が降り注ぐが、朝早くということもあるのか不愉 快に感じるほどではない。 村の出入り口の前に止まっている馬車が目につく。定期便の馬車だ。 「本当にもう行くの?」 「うん、この体を治す方法をまず第一に考えなくちゃいけないから。……ごめん」 別れを惜しむような神妙な顔つきになるエルミナに、マリアは苦笑いを浮かべるほかなか った。 昨夜──あれから小屋の地下にあった隠し部屋の資料に目を通したのだが、《大いなる秘 法》に関する情報は得られなかった。ほとんどが医療関係、そして不治の病を消し去る錬金 術の構築図式が描かれた用紙しか置かれていなかったのだ。 この村に留まる理由も無くなったマリアは、馬車の定期便が来るこの日に、パターデル村 を離れることにした。 「本当に済まなかった。なんと礼を言えば……」 居たたまれない気持ちで一杯といった感じのアンディが頭を下げる。 「そんなこと気にしなくていいわ。ただ、もう二度とエルミナを傷つけちゃ駄目よ」 「……ああ、もう二度とそんなことしないよ。約束する」 苦笑したアンディは昨日までの彼とは違っていた。幾つかの過ちは犯してきたが、それで も更生できる範囲でのことだ。彼なら問題ないだろう。 「ねえ、マリア、もう少しここに居ない? まだ色々と話したいこともあるし、子供たちもま だ居て欲しいって駄々こねるのよ」 マリアを村に留めようとエルミナが言葉を紡ぐ。 村で起きていた事件を解決してくれ、さらにアンディを正気に戻してくれたマリアに、エ ルミナはまだ恩返しをしていないことが心残りなのだろう。 しかし、マリアはやんわりと首を振って、 「そう言ってもらえて嬉しいわ。けど、あんまり長居すると、そのときはもっと別れるのが辛く なると思うの。だから、ね?」 エルミナのまだ居てほしいという気持ちと、時間が惜しいという焦り、そして別れによる 哀しみでマリアは曖昧模糊とした表情を浮かべた。 そんなマリアに、子供たちの中から一人──メリィが近づいてきた。相変わらずの垂れ目 で見つめるその視線は、寂しさが滲み出ていた。 「お姉ちゃん……また会える?」 目元を潤ませ、切願するようにメリィが答えた。 マリアは、膝を曲げて彼女と同じ視線の高さまでもっていく。 「うん。必ずまた会いに来る。それに今度はわたしが招待してあげる、メトロポリスに」 だから指切り、と付け加え、マリアは小指を差しだした。それに応じるように、メリィも 小指をおずおずとしながらも出してくる。 セロンと自分が元の体に戻ったとき、必ず来よう。マリアは心の中で呟いた。 * * * * * 「ありがとね、セロン」 地固めのみされた一本道を馬車が黙々と歩いていく。舗装されていないがゆえに、揺れが 激しかった。 しばらくの間、マリアは何も喋らず、ただ馬車の窓から見える雑木林を漫然と眺めている だけだった。が、唐突に彼女が口にした台詞に、無論、セロンが驚かないわけがなかった。 〈な、なんだ? どうしていきなり礼を言われにゃーならんのだ?〉 文字通り不意を突かれたセロンは、あからさまに動揺していた。そんな彼を見る機会がほ とんど無いためか、マリアはふふんと鼻で笑う。 「なら聞くけど、今回の件で本当に《秘法》を探そうとしてたのかしら?」 〈…………〉 マリアのその問いにセロンは返す言葉が無いようだった。 最初から変だとは思っていた。自分たちの一番の目的である《大いなる秘法》を探して半 年ほどになるが、ここまでやる気のみられないセロンは初めてだったのだ。 蔑ろというよりも──むしろ、端からパターデルには《大いなる秘法》が無いことを想定 にしていた節が見え隠れしていたのだ。 「お父さんの誤解をときたくて、ここに来ようって考えたんでしょ? 最初から《秘法》の情 報探しにやる気も感じられなかったし」 〈それは……〉 「セロンも知ってると思うけど……わたしはお父さんを恨んでた。だって、普通七歳の娘を置 いて旅にでる親なんかいないでしょ?」 御者に気づかれないようにして、窓際に寄りかかり小言で呟く。 「だからこそ、わたしを置いて出て行ってしまったあの人を信じられなかったんだと思う。セ ロンに助けられた後でも……」 どれだけ弁解の言葉を耳にしても、実際に本人から謝罪されていないのだ。ついこの間ま では、酌量の余地も無いとさえ感じていた。 「けど、今回の件でわたしが一方的に勘違いしてたのが理解できた。悪いのは……わたしなんだって」 自分は目先のことに気を囚われすぎていた。パターデルの山小屋の地下から見つかった資 料を見て、父がどれだけ必死だったのかが理解できる。 それを確認したことがないからといって、父を憎んでいた自分が今では恥ずかしいと思う。 罪悪感と羞恥心がない交ぜになった感覚が、体を駆けめぐっているような気分だ。 〈先生は……お前が理解してくれただけでも満足に思っているはずだよ、きっと〉 「──え?」 ぼそりと、らしからぬ台詞を吐いたセロンに、思わず窓際に寄せていた上半身を起こした。 〈それに《大いなる秘宝》を見つけ出すために必要不可欠なことだったんだ。言っておくが、 これからはビシバシ働いてもらうから──って、お前! なに笑ってるんだ!?〉 何とか笑いを堪えつつも、体の感覚を共有しているのだから感づかれるのは当然だった。 それにしても、セロンからそんな大層な台詞が聞けるとは……世も末である。 「ごめんごめん。けど、セロンの言うとおり、早く元の体に戻らないとね」 〈当たり前だ。メトロポリスに戻ったらまた情報探しから始めるぞ〉 「りょーかい」 そう、いまの自分たちは立ち止まっている暇などないのだ。 マリアは、ふと窓から空を見上げた。初夏の空は高く、雲一つない晴天は何処までも透き 通っている。 マリアは空を見上げつつ、メトロポリスに帰ったらヒューゴの墓参りに行こうと思った。 感謝と謝罪の気持ちを、そしてあなたが目指していた《大いなる秘法》をセロンと一緒に必ず 見つめてみせる……そう伝えようと心に決めた。
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