――紅霧――




     序章 悲しき惨劇







 ──《魔神まじん》──
 それは災いを起こすと称される神なり……







 暗雲が空を覆い、豪雨が降り注ぐ奥多摩の山林──。
 闇夜の中、乱立する木々が等しく雨の制裁を受けている様は、傍から見れば不気味な光景といえよう。
 その陰鬱な雰囲気を醸し出す緑林の木々の中に、ぽっかりと穴を空けた草むらがあった。鬱蒼と茂る樹木が天然の壁となって、その草むらを囲むようにし……

 その場で豪雨の音を遮るような甲高い音が連続して響き渡っている。

 草むらの中に二つの人影。
 一人は白装束を纏った青年。もう一人は黒装束の青年だ。
 連続して木霊す甲高い音の正体は、両者の持つ『日本刀』がぶつかり合って出る音だ。
 降りしきる豪雨を、剣戟によって生まれた衝撃の余波が弾くという、奇怪な光景がその場にはある。
 耳を打つような金属同士のぶつかり合いは、よく出来た音楽のようだ。無限の軌跡を描く刃は、絶え間なく、際限なく、途絶える事なく、そのリズムを上げていく。

 幾度にも振るわれる刀身。
 幾重もの太刀筋。
 幾多にも弾け火花を散らし合う刀と刀。

 数十と数を重ねていく目にも留まらぬ高速の打ち合い。
 人の身では到底実現させる事の出来ない戦いを彼らは重ねていき、繰り出す一閃全てが、凄まじい速度で一直線に繰り出される魔の一閃。もはや神域に達した力量の剣技。
 間断なく繰り広げられる無数の斬撃は、第三者を唖然とさせるものだ。
 そんな両者は剣戟を撃ちつつも、立ち位置を何度も入れ替えるようにして縦横無尽に疾駆。右から、上から、左から、下から、斜めからと、常時移動と同時に四方八方いずこから刀の軌跡を走らせる。
「ハハハハハハッ! やるねえ、せつッ!!」
 打ち合いの中、最初に口を開いたのは白装束の青年だった。
 極端に長短がない黒髪。その場に似合わぬ柔和な──言い方を変えるなら緊張感のない表情。誰もが肩の荷を降ろしてしまうような、安堵感に浸れる稚気の残った相貌を持つ青年だ。
 だが彼の繰り出す剣技は明らかに常人の域を超え、剣を極めた者――『剣聖』と呼ぶに相応しきものと言える。
「…………」
 対する黒装束を纏った青年は、硬質のある強面を顔に貼り付け無言。
 白装束の青年同様、彼もまた手中に携えられている刀を凄まじい速度で振るい、怒涛の如く接近してくる相手の斬撃を、同数以上の斬撃で対処していく。
 毛筋が硬く乱れたような、ざんばらとも、さら毛とも捉えられる黒髪。対峙する白装束の青年のように温和な表情はなく、何人たりとも近づけさせない鋭利な刃物を連想させるかのような鋭い顔つきだ。
 そんな何処にでもいるような両者の容姿とは裏腹に、一際目立つのは血に濡れたような異色を帯びた『深紅の瞳』。充血とは異なる──まるで伝承に登場する吸血鬼のような血色の双眸が闇夜に瞬いていた。
 しかし対峙する二人の青年を見た者は、紅の瞳以外に彼らの雰囲気や容姿が、何処となく似ている事に気付くはずだ。
 当然といえば当然だろう。

 彼らは兄弟、それも双子なのだから、、、、、、、

 尚も、目の前にいる兄弟を斬り裂かんと狂飆の如く刀を薙ぎ奔らせる二人。
 その剣戟に酔いしれるように、口元を吊り上げた白装束の青年。対する黒装束の青年も猛追するように刀を振るうが、その顔には渋面が貼り付いていた。
 と、刀身が一際甲高い音を発しぶつかり合い、そこで剣戟は一旦停止。続いて鍔迫り合いによって、交える刀を挟んで両者の視線が絡み合う。
 擦れ合う刀身が鈍い音を空間に響かせた。
「楽しい……! 楽しいよ切!!」
 雨に濡れた顔を存分に破顔させ、この接戦を心の底から楽しんでいるように見て取れる白装束の青年──じんは歓喜に身が打ち震えているかのようだ。
 そんな刃を正面から見据え、
このかみ……もう止めてくれ。俺は、このような決闘望んでいない!」
 狂気に満ちた笑みを貼り付ける"兄"に対し、切は懇願するように口を開いていた。
「止めてくれだって? 何を言っているんだい、そんなの無理に決まっているだろう。僕達は同じ『一族』の末裔なんだ。だから殺しあっているというのに……まさかそれが分からないなんて台詞を吐くつもりじゃないよね切?」
「分かっている。だが……だが俺は兄である貴方を殺したくは──」
「だったら僕のために死んでよ」
 その台詞と血のような眼に似合わぬ──慈愛に満ちた笑みを顔に作り直した刃は、弟の哀願を聞き入れようとせず一蹴する。さらに、刀身が離れた一瞬の隙を逃さずに刀を薙ぎ、切めがけて横薙ぎの一閃を繰り出していた。
 咄嗟に切は、その軌道に合わせ刀身を差し出し防御に移る。
「ぐ……っ!」
 ギィンッ、という鈍い音と共に火花が散り、空間を一瞬だけパッと明るく照らした。
 その重く、速い一閃の衝撃におもわず切は苦悶を漏らす。
 苦渋の色を浮かべた切を見て嬉々として顔を歪ませた刃。
 それは求めて止まない獲物を目の前にし、愉悦を感じている者の瞳。まるで好敵手との、命の駆け引きをした鬼気迫る攻防に、甘美の陶酔に浸っているかのような紅の瞳だった。
「一族の定めである以上、君と殺し合うことを少なからず予想はしていたよ。だからこそかな、僕はいま最高の気分なんだ。……なぜだか分かるかい?」
 刃は一拍の間を置き、
「それは対等に渡り合う、君の剣技が僕を満足させてくれるからさ、切ッ!!」
 狂ったように次から次へと繰り出される刃の猛撃は、暴れ馬を彷彿とさせるものだが、幾何学的な剣技とは裏腹に正確無比に相手の急所を狙っていた。
 薄い闇の中で伝わる卓越したその動きは、隙など見せる暇すら与えない。
 即ち彼の動き一つ一つが、言外に格の違いを露にしていた。
 反対に刃を説得できなかった切は、劣勢に立たされ、幾多にも注がれる無数の斬撃を同じく無数の捌きで返し、防御に回るほかなかった。

 苛烈なまでの一刀を疾風の一刀で。
 傲然のような一撃を哀願の一撃で。
 雷光染みた一閃を紫電の一閃で。

 切は次から次へと襲ってくる、魔の剣戟を巧みに紙一重に回避していく。
 だが猛追するように迫りくる奮撃を捌くには、いくら切の技量があっても限度がある。彼の体勢が崩れるのも時間の問題だった。
 そして──
「僕の勝ちだ」
 刃は、コンマ何秒という切の隙を見逃してはいなかった。草地を勢いよく蹴り込み、勢いを余すことなく乗せた凶撃を容赦なく切に叩き込もうとする。
 斬撃が繰り出された瞬間、切は刀を引いて防御に回るが既に遅かった。
 暗夜に鈍い銀線の閃耀が奔り、避けることが出来ず、立ち尽くしていた、切の身体めがけて──
「がぁッ……!」
 ――神速に達した凶撃が炸裂した。
 空間に湧いて出てきたのは血煙と、悲痛からくる呻き声。
 脇腹を斬り裂かれた切は、鮮血を撒き散らしながら草地に崩れ──

「……無に帰れ」
 ぽつり、と一言呟いた刃。

 ──崩れ落ちようとした刹那。
 切の瞳に映り、そして耳朶に触れたのは、振り切った刃を回転させてチンッ、とわずかな音を立てて納刀した刀の澄んだ音と。翻すように背後を向けた刃の背中だった。

     *     *     *

 先刻まで降り注いでいた豪雨は嘘のように止んでいる。暗雲がどよめくように動くと、上空にある月がその姿をゆっくりとさらけ出し始めた。
 煌々とした月光の明かりは彼らのいる場所を照らしていく。
 白装束の青年の日本刀を差している帯紐の部位に、なにやら濃紫色の代物が月光によって瞬いていた。鞘から木綿糸でぶら下げられるようにして、宙を漂う濃紫のソレは、妖艶な光沢を放つ『宝石』のようにも見える。
「満月か……。綺麗だな」
 刃のころころと変わる表情は、稚気の含まれた取り澄ましたような顔。その瞳は、先程までの深紅の色はなく黒色に帯びていた。
「ねえ、君もそう思わないかい切?」
 不意に、刃が見上げていた視線を落とした。そこにはうつ伏せに倒れ、脇腹から止め処なく血が流れ続ける切の姿が。
「う……ぁ……」
 兄の声に反応し、朦朧とした意識の中で発せられた切の呻き声。
 その瞳も刃と同じように『紅』から『黒』に変わっている。いつの間に瞳の色が変わったのだろうか……まるで手品に似た奇異な感覚を二人は、その身に宿していた。
「急所は逸らしておいたんだ。これくらいで死んだら僕が困るよ」
 刃は邪気の欠片も感じさせないような、無邪気なまでの笑みを浮かべ、
「このまま君を殺すのは簡単だ。けどね、このまま止めを刺しちゃうと、いくら一族の命とはいえ、些か面白みにかけると思うんだ。君との接戦を僕はまだ楽しみたいし……どうしようか?」
 まるで幼き子供が遊ぶ事に飽きを感じていないような口調。切を見下ろすその瞳は、自身が大切にしている玩具を壊してしまったかのような憂いさを感じさせる。
 刃は顎に手を当て、
「ん〜、何かいい案はないかなー?」
 俯き気味に何やら考え込む素振りを見せた。
 切は思うように身体を動かす事が出来ず、そんな兄の姿を見上げるしかない。
 と、勢いよく顔を上げた刃が、はたと手を打ち――

「うん、わざわざ故郷を離れてこっちまで来たんだ。久々に東京の観光もしたいから、今は生かしてあげるよ。君にとってもいい提案だと思うだろ?」

 さらりと、とんでもない事を口にした刃の答えに切は眼を剥いた。
 自分達は命がけの死闘を繰り広げていた。なのに、白装束の男は絶対の勝利を目の前にして勝ちにいかないのだ。
 刃は驚愕に浸る切を見、くすりと恍惚の漂うような微笑を向け、
「それじゃあ、お先に僕は都心の方に赴くとするよ。ああ、切は心配しなくていいからね。僕が都心の何処にいるか分かるよう、細工はしておくから、、、、、、、、、
 じゃあね、と別れの挨拶をすると、刃は踵を返し草むらを囲んでいた雑木林の中へと溶け込んでいく。
 切はその姿が消えるまで、焦点の定まらない視線で見遣っているほかなかった。

     *     *     *

 これは歴史ある一族に生まれた双子の物語



 その一族を引き継げる者は末裔の中でただ一人



 故に彼らは戦う運命を強いられた……





 ────《魔神の血》を引く者として────




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